2022年度中学入試合格体験記

2022年度中学入試に合格した卒業生と、その保護者の方々の声をまとめました。是非ご覧ください。

Bさんより 吉祥女子中学校進学

私は、12月早稲田佐賀、1月浦和明の星を受け、2月には1日2日両日吉祥女子を受けました。結果は○××○とってもビミョウでした。

浦明が落ちた時、「今までのサボリがたたったな」と思いました。私は今まで宿題も課題も少し手を付けてはやめてをくり返していました。それがいけないとは自分でもわかっていたのですが、変えようとせず、だらだらと2月まで過ごしていました。小学受験も運よく白星だったので人生で初の黒星でした。さすがの私もしょうげきを受け、「この何週間だけでも真面目になろう」と思い、そこで初めて真正面から勉強に向かった気がします。

鼎はそんなクズな私を、できるだけ合格に近付けるために質問を聞いてくれたり、大量のプリントをくれたりしました。なによりも、どんなにしかられても見捨てられなかった。アロハパーティーをしたり、辛口やきそばを食べさせられたりして少しおどろく事もありましたが、今思い返せば。すごく楽しい思い出で、先生が私達一人一人の事をよく知ろうとしてくれていたのだと思います。

1月31日、成瀬先生はだれにも連絡しないと言っていたのに、次から次へと卒塾生の人たちが応援にきてくれてびっくりしました。吉女の制服の人もいて、「来年は私もこうやってくるぞ。」と思いました。緊張していたけど、なんだか明日がんばれそうな気がしてきました。2月1日、とっても楽しかったです。でも数点で落ちていたので2日目はすごく緊張しました。夜に合格がわかり、鼎に電話したとき、先生が明日は1日ダラダラしていろと言ってくれた時、あーおわったんだと感じ、死んだように眠りました。

先生方へ、本当にありがとうございました。クビにならないようがんばります。

Bさんのお母さまより

3年前、息子がお世話になった時に書かせていただこうと思っていたのですが、第一志望1月入試で終了というイレギュラーな感じだった為、恐れ多くて提出出来ませんでした(親子揃って)。今回は、バッチリ2月まで挑めましたので総括して書かせていただきます。

5年生の11月までNO塾だった息子(現中3)は、大手塾数軒見学し、最後に、学校の友達から「めちゃ厳しい、ヤバイ」と聞いていた鼎に体験授業に来ました。本人が「俺はここでやる。」とあっさり決めたため、本当の意味で、0から勉強を見ていただきました。それからは鼎一色です。約一年でしたが、第一志望に合格し、よくぞここまで鼎に染まったな、彼の選んだ目に狂いはなかったなぁと感心した3年前。

そして、今回お世話なりました娘。4年の時に通塾距離を考慮してサピに入れましたが、成績が下がろうが宿題をやってなかるうが、先生の顔も知らないフォローもなしで1年が過ぎ、これはいかん!1時間かけても鼎に行こう。と、5年からお世話になりました。

「鼎に行けばなんとかなる」と心の中ではホッとしていた私ですが、まさかまさかの、鼎に行っても宿題はやらないわ復習ノートはやらないわ、プリントは失くすわ。6年夏に「辞めてください」とクビ宣言を受けました。なんとか首の皮一枚で置いてもらっていましたが、どんなに叱られても宿題をしなくてもシラっと鼎には行くんです。真面目だった兄に「色んな意味ですごいね」と言われていました。(兄は鼎で算数解けないと泣いていたらしい)そんな娘ですが、6年にもなると、ほぼ内部進学の小学校の為だんだん居場所がなくなるのか、学校に行きたがらない日も増え、付属校での外部受験の辛さを実感する日々が続きました。でも、 『内部進学プラチナチケットを燃やす儀式』笑、アロハの日、クリスマス、成瀬先生から送っていただいた写真の中には笑顔の娘がいて、「仲間に入れてもらっているんだな」、とホッとして前を向けたような気がします。

2/1も受験後すぐ鼎、1日×がわかった時も、淡々と先生と話して、2日終了後も鼎で自己採点と3日受験校の勉強をして、涙一つ弱音一つ吐かずに、2日の夜の合格発表を迎えました。「算数は楽しかった、国語は話が面白かったけど解答やばい」とか、模擬テストでも受けているかのような本番2日。飄々としていた娘ですが、合格が分かり「明日は一日寝てろって成瀬先生に言われた」と言ってから、死んだように15時間以上寝ました。力尽きた、とはこの事だなぁと。

某漫画で、中学受験は親の経済力、母の狂気だと書かれていましたが、私は、中学受験は塾の先生のコーチング術の上手さに尽きると思います。12歳の子供を抜群のタイミングで上げたり下げたりしながら、2月にちゃんと着地させてくれる。受験中も最後の最後まで一緒に寄り添ってくれる。鼎の魅力はそこだと思います。娘のような厄介なサボり女子も、兄の様に、え?今から受験勉強?男も、見事に受験に間に合うようにコントロールしていただきました。鼎の先生方は、プロフェッショナルです。私は、送迎とお弁当(富士そば活用)に徹することが出来ました。

これから鼎で受験に向かう保護者の方へ。お恥ずかしながら我が家2人とも、合格をいただいた学校の偏差値に一度もたどり着いたことはありません。6年でも10ポイント近く離れていたこともあります。それでも、鼎の先生が「ま、行けそうじゃない?」と言えば(言われた通りに勉強すれば)行けます。先生が一人一人の性格や解答の仕方、能力を良く見てくださっていて、模擬テストで出てくる偏差値ではない、その子のrゃる気頭脳偏差値」を見抜いて下さっているからだと思います。まずは親が絶対の信頼を鼎に寄せて、子供にも「鼎の先生の言う通りにやれ」と言ってあげて下さい。高学歴な方ばかりだと存じますが、所詮親は親です。課金も狂気も必要なしです。子供は鼎で一回りも二回りも成長してきます。自分の子供と鼎を心底好きでいて下さい。

昨日、制服採寸と通学リュックを買いました。娘が一番に、塾リュックについていたみんなお揃いのラスカルのマスコットを新しいリュックに付け替えて、いただいた筆箱に0.3のシャーペンを入れていました。それを見て、初めて涙が溢れました。よく頑張った!よく耐えた!

先生方、本当にありがとうこざいました。くれぐれもくれぐれも、お身体大切にしてください。

Dさんより 吉祥女子中学校進学

4年上の姉が鼎に通っていたとき、私はよく受付にお弁当を届けに行っていたので馴染みがあり、迷うことなく鼎生になりました。4年のうちは、勉強よりもルービックキューブで遊ぶのがメインでした。5年生になると勉強量が増え忙しくなったけれど、授業は勉強以外の雑談もあって面白かったので塾に行くのが嫌だなと思うことはありませんでした。

5年生のときコロナで学校見学にはほとんんど行けず志望校がはっきりしていなかったけれど、6年の夏に雙葉を見て、初めてしっかりこの学校に行きたいと思いました。目標がはっきりすると気合いも入り、サピックスの模試では算数の点数がよく、自分は雙葉に向いているのかもしれないと自分を勇気づけられ、雙葉への思いも増しました。そして、社会の苦手な単元のプリントでの穴埋め問題などを心がけました。気合いを入れて臨んだ最後の合不合は、安定していた理科で失敗したうえ国語最悪で、一気に自信をなくしました。しかし、小町谷先生が国語の補習をしてくれて、ダメなポイントや選択肢の裁き方を細かく教えていただき、1月からの過去問では大きな失敗を減らすことができました。

1月入試は、栄東と浦和明の星をうけました。栄東は○だ。だけれど、浦和明の星は国語と理科の大失敗で不合格でした。初めての不合格はショックだったうえ、母と話して雙葉はあきらめられることになり、お風呂で泣きました。くやしかったけれど、確実に吉祥女子の合格をとるため、1日から吉祥女子を受験することにしました。

2月1日の朝は鼎で頭の体操をして吉祥女子にむかいましたが、全体的に時間が足りず、もしかしたらダメかもしれないととても不安になりました。気持ちを切り替えて臨んだ午後の晃華は手応えがあったので、今日がダメでも明日は絶対に合格してやる!と思いながら帰りました。結果はどちらも○で、安心とうれしさでいっぱいになりました。

何度も心が折れそうになり、泣くこともあったけれど、最後まで鼎の先生が支えてくれていたおかげで色々な経験ができました。 今まで、本当にありがとうございました。

Dさんのお母さまより

志望校がぼんやりしたまま突入していた6年生の夏休み直前、学校見学に行った雙葉中学のセーラー服に憧れ、本人自ら目標に掲げたのは受験本番半年前の9月でした。

目標は定まったものの、12月最後の合不合で苦手な国語で偏差値衝撃の49を叩き出し、すぐに小町谷先生に1日の受験を雙葉から第二志望の吉祥女子に変えた方がいいのでは?と相談しました。まだ諦める時期ではない、予定通り雙葉で!の言葉に背中を押されて出願はしたけれど、1月の浦和明けの星は×。その時点で、1日に雙葉チャレンジは危険すぎると、落ち込む娘を説得し、最後は本人も納得して1日を吉祥女子に変更しました。

1日の吉祥女子の会場からでてきた娘の表情は「会心の出来」とはほど遠く、国語は時間もギリギリで記述もイマイチ、得意の算数も国語をカバーするどころか色々失敗したけれど、結果は〇。あっさりと娘の受験は終了しました。

チャレンジや失敗も許される中学受験で、本人が一番憧れている学校を諦めさせたのは良かったのか?親が安心したかっただけ?そもそも吉祥女子にも絶対合格できるかなんてわからない…。 親としてはむしろ変更してからの方が、自問自答を繰り返す苦しい日々で、ダイエットでもビクともしなかった母の体重は、1月に入って3キロの減量に成功しました(すでに2キロリバウンド済み)

今、制服の採寸やどの部活に入るかを楽しみにしている娘を見て、これでよかったと心から思えています。
先生方から聴く雑学ネタや、アロハの日、クリスマス会など、勉強もイベントもとことん楽しむ鼎でしか体験できない充実した3年間だったと思います。
4歳上の姉の代から足掛け7年、大変お世話になりました。

Fさんより 吉祥女子中学校進学

私が鼎に行き始めたのは小学3年生の終わり頃でした。 英会話教室の友人の紹介でパスル講座を受けたのがきっかけで、初めは「楽しい」という感覚で通っていました。 5年生になると算数を成瀬先生が授業するようになって復習ノートを毎回提出する事が当たり前になり厳しくて大変だと感じていました。

自分なりに頑張っていたけど思うように結果は出ず、努力したから必ず偏差値が上がるのではないと分かり中学受験の厳しさを思い知らされました。 6年生になって一番厳しかった事は夏期講習です。 私は夏期講習の少し前に雙葉の学校見学に行き、この制服を着てこの学校に通いたい!と強い意志を持つようになり、夏期講習は23時頃まで居た日も沢山ありました。 その成果が表れたのか10月~12月の合不合は自分的には好成績が出せ11月の合不合は66まで上がり、これなら雙葉を受験できると思っていました。

そして迎えた埼玉入試。栄東は合格したものの思うような点数が出ず悔しかったです。 次に受けた浦和明の星は結果が○か×かによって1日に雙葉を受けるか決めることになっていたのですが、得意の社会以外は時間内に終わらせることができず不合格を確信して鼎に戻ってきました。 結果はやはり不合格。予想はしていたものの、夏から目指してきた雙葉を受けられないと分かり大きなショックを受けました。

しかしここで立ち止まってはいられないと思い、第二志望の吉祥女子に向かって動き出しました。 「立教新座の不合格の後から毎日復習ノートをやった」という卒塾生の先生の話を聞き、苦手なのにやれていなかった理科の復習ノートを提出し始めました。 1月31日の壮行会では卒塾生が応援しに来てくれて「明日頑張ろう!来年は吉祥の生徒としてここに来よう」と思うことができました。

そして本番2月1日。 朝、鼎に寄って軽くウォーミングアップをしに行き、緊張していたのか計算も間違えてしまいましたが、今日は1問目を間違える日だった…と前向きに考えるように言われ、これだけ努力したから大丈夫と自信を持って試験に臨みました。 吉祥の試験は自分的には手応えがあり、復習ノートの効果が出たのか苦手な理科も結構できました。 午後の試験へ行く前にした鼎への電話も「声が弾んでいた」と後に渡邉先生に言われたほどでした。 結果は合格。発表で自分の番号があったのを見た時は跳びはねて喜びました!

鼎で勉強しているときは楽しい事も辛い事もあったけど、塾を休みたいと思うことはありませんでした。 それは先生たちの楽しい授業のおかげだったと思います。 成瀬先生には何度も賢くないと言われたましたが…吉祥女子に入れたので良かったです。 多くの受験生の中から私を選んでくれた吉祥女子で、中学高校生活を楽しみたいと思います。
3年間本当にありがとうございました。

Hさんより 晃華学園中学校進学

私が鼎に入塾したのは4年生の春休みです。受験が終わった今、振り返ってみると鼎で過ごした日々はとてつもなく充実し、短いものでした。それといった目標もないまま4年生、5年生の初めを過ごしていた私に転機が訪れたのは5年生の秋でした。いままでずっと上から2番目のクラスだったのですが、少し組み分けテストでいい点数をとるようになり、1番上のクラスに上がったことです。1番上のクラスの授業を初めて受け、算数が成瀬先生に変わるとクラスメイトが私よりできる人ばかりで家に帰って号泣しました。

の時から「分からない事は積極的に聞きに行こう」と心に誓いました。するとなんとか1番上のクラスのペースについていけるようになり、そこから受験までずっと第一志望は洗足学園中学でした。そして気がついたら1月10日栄東の受験でした。算数で計算ミスをしたことにご飯の時に気がつき、不合格だと思いました。が、なんとか合格することができました。

うれしかったのですが、2日後の浦和明や洗足で栄東のようなミスをしたら確実に落ちると、怖くなりました。14日の浦和明。やりきったものの、あと少しの所で不合格でした。でもここでくよくよしてもしょうがないので気持ちを切り換えました。

そこからはプレッシャーにおしつぶされてしまいそうで、精度が下がっていってしまい、1月31日に卒業生からエールをおくっていただき、やる気はありましたが、正気が保てていませんでした。朝のウォーミングアップもボロボロののまま洗足に向かい、結果が不安になりながら晃華を受けました。ですが、とてつもないミスを連発し洗足どころか晃華も不合格でした。絶望しました。2日の洗足も1日と同じようなペースで不合格でした。

3日の晃華はここで落ちたらヤバいと思いがむしゃらに解きまくったところようやく合格をいただけました。5日の洗足は4日の勉強で正気を少し取り戻したものの不合格でした。悔しくて悲しかったけれど、やり切ったので不思議と泣き虫の私も涙は出ませんでした。

御三家に近い洗足に3回も挑戦できたことを誇りに思い、晃華ではトップを目指して頑張りたいと思います。 5日まで面倒を見て応援して下さった小町谷先生、成瀬先生、岡本先生、渡邉先生ありがとうございました。

最後に第13期生の皆さんへ。 つらいこともたくさんあると思いますが、最後まであきらめないで頑張れば、自分に合った中学校に入ることができるので、負けずに頑張ってください。

Hさんのお父さまより

私達親子が受験をすることに決めたのは4年生になる春でした。以前より親としては中学受験を経験して、中高6年間を有意義に過ごしてもらいたいという思いがあったのですが、その頃の娘は、とても繊細で感受性が強く、学校生活にストレスを感じており、週末の習い事は楽しんでも、平日は無為に過ごすことが多く、正直塾通いどころではないという状況でした。

しかし、本人に中学受験のことを話してみると、「中学校は自分が行きたいところに行きたい」と言ったので、個別指導塾を含めいくつかの塾探しを経て、生徒一人一人と向き合ってもらえると感じた鼎の門をたたいたのでした。

算・国2教科からのんびりスタートして、授業も楽しく受けられていたのですが、理社が加わり、課題も増えてくると、毎週の課題を週末までにこなすのが大変になってきました。日曜ぐらいは充分に休む、遊ぶなどメリハリをつけられればよかったのですが、マイペースでありながら生真面目な性格もあり、4年2学期の後半から体調を崩し、休むことが多くなりました。

やはり受験は無理なのではないかという懸念が常に頭をもたげ、受験を継続するかどうか悩みましたが、まだ時間もありましたし、娘自身も不本意であることがわかっていたので、体調の回復に集中することにしました。冬休みから3学期の始めは本人もつらかったと思いますが、2月になり、世の中が新型コロナウイルスの蔓延で不安と混乱に陥るのを尻目にマイペースを保ち、2月末から学校も休校となったことで、気持ちにゆとりができたのと、ちょうど体調が改善するタイミングで少しずつ勉強する意欲が生じ、春期講習とゴールデンウィークの講習を完走することができました。我々にとってはコロナ禍は一つの好機であったと思います。

 久しぶりに復帰して本人はブランクによるクラスメートとの差を感じていたようでしたが、「焦らなくて大丈夫、途中で息切れしてリタイヤしないペースで走っていれば必ずおいつくから」と励まし、一方で再度体調を崩す不安と、構わず増えていく授業と宿題の量に圧倒されていました。

そんな親の懸念はよそに、本人は徐々に鼎に染まっていき、自分なりに鼎と学校の配分を決めた生活を送り、5年の秋に1組になって成瀬先生の指導をうけ、周りの友達に刺激をうけて、少しずつ受験が自分のこととしてイメージできるようになり、志望校が決まって具体的な目標が決まって6年生になると、毎日遅くまで鼎にいながらも、学校生活とも両立できるようになっていました。

それどころか夏休みも休みなく通い続け、2学期に入りいよいよ塾で過ごす時間が長くなり、日付が変わってから就寝するのも当たり前にまでなりました。疲れたりイライラしたり、ちょっとしたことでベソをかいたりするのをみると、親としては、いつか挫けてしまわないだろうかとつい余計な心配をする毎日でしたが、本人は1度も辛いとかやめたいとかいうそぶりも見せず、とても充実した日々を送っていたのだと思います。

そしていよいよ年があけ、受験シーズンとなりました。1月校は1勝1敗でしたが、×だった浦和明の星もあとわずかのところまできており、直前まで実力は伸びることを信じて2月1日を迎えました。

2月1日は午前洗足学園、午後晃華学園のダブルヘッダーでした。朝は緊張していないといっていた娘でしたが、2校ともケアレスミスと娘らしくない解答により算数を落としてしまい、不合格でした。気分を取り直して挑んだ2日の洗足2回目も10数点足りずに不合格・・・前日ほどではないものの、算数の一問目の計算から間違えるといったケアレスミスやあいまいな知識が合否を分ける厳しさを痛感しました。

2月3日は晃華学園2回目でした。3日連続の早起きと疲労で起きるのも辛そうでしたが、目が覚めると鼎に行く!といい、気合いをいれてもらい車で晃華学園へ向かいました。疲労と緊張は親子ともどもピークに達していましたが、平静を装いながら送りだしました。試験の間本来なら合格を信じるべきなのでしょうが、親は落ちた場合のことを考え、近くのファミレスで翌4日の出願書類を作成していました。ある意味崖っぷちの状況でしたが、娘は見事プレッシャーに耐え、普段の実力を発揮して合格を勝ち取りました。

4日はキャンセルし、休息と5日の洗足対策にあて、5日の洗足学園に挑みました。すっかりルーチンとなった先生方の激励と応援を得てたくましく入場していった娘をみて、ここまで成長できたことがとてもうれしく感じることができました。結果は残念ながら3度目の正直とはなりませんでしたが、不思議と涙は見せず、成瀬先生へ電話でしっかり報告していた姿をみて本当に鼎に育ててもらったんだと実感し、我が家の受験は終了しました。

長いようで振り返ればあっという間の約3年でしたが、娘は親の想像をはるかに超えた成長をみせてくれました。娘は鼎で勉強の楽しさ、努力を積み重ねることの大切さ、目標をもってあきらめずに最後までやりきることなど、これからの人生においての糧になることの多くを学びました。そして親も親として色々なことを心配しますが、その多くは杞憂であり、子供は子供なりに自分の考えをもって乗り越えていくことができるということ、子供を信じることの大切さを学びました。

憧れていた第一志望には残念ながら縁がありませんでしたが、晃華学園でさらに色々な経験をして思い悩み克服して、大きく成長してもらいたいと思っています。

最後になりましたが、成瀬、岡本、渡邊、小町谷、小池、横田各先生方、最後の2月5日の朝までとことんつきあって指導していただき、ありがとうございました。ここまで面倒見のいい塾はないと思います。お体に留意して多くの子供達のために永く頑張ってください。

Jさんより 成蹊中学校進学

私が一番最初に鼎に来たのは小学校3年生の春です。でもバレエをやっていた私は、木曜日はこれませんでした。

夏期講習の期間に入った時、復習ノートを書くようになりました。最初の2回は例題もはらず、大事なことしか書いていなかったので先生に、「もっとたくさん書け」と言われました。たくさん書けばいいと思った私は1枚に色を塗りすぎました。気付いたら1時間に1枚のペースで復習ノートを書いていました。「カラフルすぎる」 と言われた私は1ページ3色まで、と注意されました。すると、ノートに丸の付く回数が増えました。でも自分のやっている事が本当に正しいのか、ずっと疑問でした。授業の内容にずっと着いていけないまま4年生が終わりました。

5年生に入るとクラスが下がっていて、がっかりしたのと同時に少しほっとしました。組み分けテストでは国語の点数が上がっていてうれしかったです。それでも毎回組分けテストの結果は変わらないし、復習ノートをサボった事もあったし、算数の宿題は答えが出なくても平気でいました。今思うと4年生、5年生の私の態度は先生達への申し訳け無さと後悔しかありません。

その頃の私は入試の事なんか全然頭にありませんでした。濃度の薄い1年間をすごし、5年生も終わって6年生になりました。3つのクラスがある中、私は真ん中のクラスになりました。自分は当然1番下のクラスになると思っていたので驚きましたが成瀬先生に習う事が分かった時、少し緊張しました。

組み分けテストで悪い結果だった私は怒られたというより、ぐちを言われました。成瀬先生の授業になってから覚える事が多くなり復習ノートを何枚もやるようになりました。その時、私は、4年生5年生の頃ずっとサボっていた事を実感しました。6年生になってから、4年生5年生の時はずっと変わらなかった成績も波が出来るようになりました。 前回のテストの結果と今回のテストの結果が全然違うなんて事もありました。でも、どの教科でも最高なんて事は無かったし、どの教科も最悪なんて事も、たぶんありませんでした。例えば、10月位、理科の成績が少し上がってうれしかったけど、国語の成績が少し下がってしまいました。私の場合、何かが上がると何かが必ず下がっていたのでがっかりします。

入試の時、前の卒業した人が言っていた事でもありますが、頭の良さそうな人をジロジロ見ると、あせってしまうから、自分の事だけ集中する事が大切だと思います。それから体を冷やさないためにカイロとマフラーは必ず持って行くべきです。入試の直前は私は、受かりますように、とずっと願っていました。こう思っていたのは、私だけじゃないと思います。だけど、どんなにがんばっても「いつも通り」の自分を出す事を心がけるべきです。

本当は今までで後悔していることは山ほどあります。1番思う事は先生の言う通りにする、事です。簡単な事だけど、私には出来ませんでした。怒られた事もたくさんありました。だけど怒ってくれる事は、自分を見てくれている、という事です。だから、本当に感謝する事です。

入試のお守りとしてラスカルをもらいました。ラスカルは成瀬先生に似てる、と思いました。

2月1日、ついに本番の日になりました。早朝から鼎に行き、頭を覚ましました。「起きてる!」 と言われてうれしかったです。

午前は成蹊中学校、午後は明治学院を受けました。午前の入試が終わった時、嫌な予感はしていました。社会の手応えは薄かったし、算数はケアレスミスを1つ見つけました。でも、気を取り直し、おにぎりを食べてから午後の受験へ向かいました。

塾へ帰ってきて算数の直しは思ったより良かったのでほっとしました。社会は思ったより悪かったので不安でした。

午後の明治学院は当然受かっていると思っていたのに不合格で失望しました。明日も早いから早くねろ」と成瀬先生に言われたのに、私は10時半に、その結果を見ていた事に後悔しました。どうしてか、成瀬先生にも、バレていました。本当は、次の日はチャレンジ校の吉祥女子を受けるはずでした。

2月2日の午後3時、合格発表の時、もしかしたら12年間生きてきた中で1番緊張したかもしれません。

こんな私でも、第一志望の学校に合格できました。パーフェクトではなかったけど、1番大切で、最後の手段は、自分の力を信じる、事です。嘘だと思って信じてみてください。必ず自分に自信をつける事ができるはずです。

Lさんより 富士見中学校進学

私は小学四年生の秋に、鼎進学教室へ入塾しました。 これまで塾の入退を繰り返していたこともあり、とても不安でしたがすぐに馴染むことができました。 友達と楽しく遊び感覚で通ううちに、四年生、五年生が終わり新六年生となって授業の担当が変わりましたが、はじめは地獄でした。

算数は横田先生から成瀬先生へ変わりました。おもしろかったですが厳しかったです。 クラスの中でもビリに近いほうで、クラスを落とされるのではないかと常に思っていました。「曲線を見たら中心に向かて線を引き、扇形を作る」が中々できず怒られていました。  国語は人よりできるわけでもなく、そこそこでしたが入試問題を解くスピードが人より遅く、最後の記述が書けないことがありました。記号問題にも印をつけなかったため、よく落としていましたが、先生の指導のもと印をつけ、点数をとれるようになりました。  理科は復習をやればよかったと思いました。入試前日の吉祥女子の点数がとてつもなく悪かった時に思いました。  社会は年号を早く覚えるべきだと思いました。クラスの社会ができる子に、年号のプリントで負けてしまった時に思いました。

1月入試が始まり、私は淑徳与野を受けましたが不合格となりました。友達は合格していて、とても悔しい気持ちになりました。 2月1日は午前「富士見」、午後「大妻中野」を受けました。どちらも合格し、行く学校ができた時はとても嬉しかったです。 2月2日は第一志望校の吉祥女子を受けましたが、不合格となりました。 国語もギリギリ、算数は解ける問題が少なすぎて、終わった後の休み時間に泣いてしまいました。理科、社会は本当にいつもと同じくらいしかできず、とても後悔しました。

私は人より全然努力が足りないと思います。努力している人を見ても、私は変えようとしませんでした。それでも応援してくれた親、先生方には感謝しかありません。 本当にありがとうございました。

Lさんのお母さまより

「努力」が大の苦手、他人も呆れるほどのマイペースな我が娘が掴み取った合格です。

鼎は小学四年生の10月からお世話になりましたが、入塾早々から塾の宿題はやらない、先生に宿題を出すよう言われても、その場をやり過ごして終わり。良くも悪くも誰からの影響も受けず、自分の興味があることだけしかやらない、義務(宿題)は果たさない、屁理屈だけは一丁前…。こんな状態が五年生まで続き、「何のために、誰のために受験をするのか?」を娘に問い続けてきました。

その答えを見いだせないまま、あっという間に六年生になりました。 娘の第一志望校は吉祥女子、第二志望校は富士見でした。吉祥女子は娘の成績では足元にも及ばないレベル。その現実を娘に伝えても「私は吉祥女子に行く」の一点張り。努力する姿は微塵もなく時だけが過ぎていきました。夏期講習がスタートし、本人なりの努力が垣間見えるようになりましたが、長続きはせず成績も横ばい状態。 志望校は先生方からの助言をもとに、娘と何度も話し合い2/1富士見・大妻中野、2/2吉祥女子で確定しました。

1月に入り埼玉の受験が始まりました。娘は西武文理と淑徳与野を受験しましたが、淑徳与野が不合格となりました。後で同じ学校を受験したお友達の合格を知り、人生で初めて悔しさを学んだように思いました。 これがきっかけとなり、本番(2/1)2週間前から急に娘のスイッチが入りました。 何かと理由をつけてやってこなかった歴史の年号や、算数・理科の苦手分野を貪欲に学び始めました。親としては「えっ今!?」という気持ちで一杯でしたが、入試に臨むのは娘なので私は精一杯のサポートに徹しました。

結果は2/1 富士見◎、大妻中野◎、2/2吉祥女子×となりました。 2/2入試が終わった後の帰り道、娘が「私、吉祥女子落ちてると思うけど、もし受かっても吉祥女子には行かない。富士見に行く。吉祥女子は算数についていける自信がないから、富士見で頑張りたい」と涙ぐみながら私に話してきました。プライドだけは高くて弱音を吐かない娘のこんな姿を見たのが初めてで驚きましたが、娘なりに頑張ったからこその答えなんだろうなと思いました。 「休みたい」等の弱音も吐かず、毎日20㎏以上ある重たいリュックを背負い、終電近くの時間に帰宅する生活を最後までやり通した娘の根性は立派だと思います。

最後に、先生方には大変お世話になりました。 どんな時でも常に娘と真剣に向き合って下さりご指導いただきましたこと、感謝しております。最後の最後に「努力の大切さ」を学ぶことができたと思います。鼎進学教室での学びは、今後の娘の成長の糧となると思います。本当にありがとうございました。

Mさんより 明治学院中学校進学

私は4年生から鼎に入りました。最初はただモヒカンの渡辺先生が怖かったです。 4、5年の時は受験の事を今思うと全然考えてなくてただ友達と勉強するのが楽しかったと先生やお母さんに怒られないようにするために勉強していました。

そして4年生の時明治大学付属明治中学校を見に行ったのですが全然覚えてなくて6年生の前半まではお母さんがその学校良いと言っていたのでずっと第一希望にしていました。けれど今の成績だと明明には行けないのでいろんな学校を見に行こうとしましたがコロナでなかなか見に行けず6年生の夏ごろにいろんな学校にいきました、その中で1番良かったのが明治大学付属中野八王子中学校です。

天気がよかったからかもしれないけどキラキラしているし、森林がキレイで好きな運動がおもいっきりできて校長先生も元体育教師だったからです。けれど明八は私にはやりにくい問題で成蹊中学校の方が問題がやりやすいしグランドも広いので第二希望にしました。

1月校が近づきあせりました西武文理のテストの前に4年生からしっかり努力していれば良かったと思いました。私は理科が苦手で復習ノートが嫌だったけどこのままだとやばいと思い残り少ない日だけど復習をしました。そしたら知識も増えて点数がのびました。だからもっと早くから復習をすればと後かいしました。 明八も成蹊も受からなかったけどその分、明学で次こそは後かいしないように頑張っていきたいと思っています。

鼎の先生がずっと最後まで熱心に見ててくれていたので明学に合格できたとおもっていて、鼎の先生でなければ明学も受かっていなかったと思います、もっと勉強すれば良かったと後かいした気持ちを忘れずに中学校で頑張ります。
3年間本当にありがとうございました。

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