2021年度中学入試合格体験記

2021年度中学入試に合格した卒業生と、その保護者の方々の声をまとめました。是非ご覧ください。

Aくんより 麻布中学校進学

自分が入試をして感じたことは占星術的な力かもしれないですね。入試が近づくと毎日ずっといのってました。「得意な問題でますように」、とか「うかりますように」みたいな感じで。そういうのは信じない方がいいけど、ちょっと信じるという姿勢が好ましいですね。
やっぱり信じすぎて御守りとかいっぱい買ったとしたら、「もう大丈夫だ」とか勘違いしちゃう人もいますからね。まぁとにかく言いたいのはルーティーンですね。簡単なことでもいい毎日することだったりたべるものだったりでもいいんです。ルーティーンのねらいはこれをやっているから自分が全力を出せるという勘違いです。

中央線は絶対に座ったほうがいいと思います。なぜいきなり話をかえて中央線の話をしたかというと、経験ですね。中央線は快速だと鈍行なのがあったりしてひざがきついです。体力けずられます。逆に速いやつで立つとすぐギブアップになります。自分は最期の十日間くらいははやくねてました。
でもいま思うと一年間ずっと長くねた方が記憶の保存が可能になったと思うんですよね。レム睡眠とかノンレム睡眠とか関係なく長くねるとすっきりしますから。さてこれまでの話は圧倒的に自分に関係ない話だったんですが、今から自分の入試の話をしようかな、と思います。
まずは栄東のA日程※、ではなくB日程でした。実はこの年B日程の方が簡単だったんです。なのであながち運も、必要かなんて思いましたね。ここで発表しますが、自分が一番バカだったなぁと思っています。教わったことができない。

こんな人間でしたから。続いては栄東の東大クラス選抜つまり特待試験というやつです。国語の時は普通にできたという感覚があったんですけど算数になると指がうまく動かなかったんですよ。
これは落ちた。と思いますよね。けどギリギリ合格よかったと思いました。次なんですけども立教新座。駅から遠いところにあるので歩くのではなくバスの方がいいと思います。
歩いていったので失敗したなぁと思ったことが印象に残っているので。次はいよいよ麻布。これはいろいろ覚えてますよ。算国60分ずつ理社が50分ずつの試験時間で間に弁当を食べる時間もあります。
実は自分先程話したねることが大事という話ですが自分はねつきが悪くて基本睡眠が足りてなくてあくびを日々かみ殺してました。そのせいで社会のときにすこし気絶しました。本当にいきなりプツンという感じで。
あれは洒落にならないですね。2日3日に発表なので大変でした。桐朋はですけど時計がないです。ほとんど体内時計で試験受けてました。気をつけて。
周りが開成とかそういう学校を受けてきた人たちだったりするのでピリピリしててダブルパンチでした。海城ですがもうつかれでて記憶があまりないです。ここらへんではじめてねることの大切さを思い知ったかもしれません。
ともかく冷静さを失わないことが入試を制する術だと思いました。これで自分の入試体験記はおしまいです。
※正しくはA日程の2日目(今年は新型コロナの影響で2回に分け実施)

Bくんより 麻布中学校進学

僕はコロナが大変だった2020年を経て、今年2021年に武蔵中学校に合格することが出来ました。コロナの流行で普段の生活に制限が入ることもありましたが、6年の時は精一杯頑張ることが出来たと思います。
僕は小学校4年生の春に、姉が鼎に通っていたことをきっかけに鼎での生活が始まりました。4年生の時はまだ志望校も決めておらず、勉強への意欲を持たず、遊びや小学校を優先して鼎には真剣には通っていませんでした。そんな状態が続いて、5年生の夏に僕に転機がおとずれます。夏に、僕は母からの説得に加えて、武蔵を見にいき、その自由な学習や、自然あふれるキャンパス、私服でくるという自由な学校生活に心をひかれた。これらによって5年生の僕は努力を始めることが出来た。

そのため、2から1のクラスに再び上がることが出来た。ここから成瀬先生が算数の授業を担当することになり、僕は算数の復習ノートを習慣づけて行った。そこから夏期講習で苦手だった算数が少し出来るようになり、9月の組み分けテストでは、それまでで一番の得点を取ることができた。この9月から10月の嬉しさは今でもよく憶えています。
しかし、11月から1月は本当に算数がうまくいかないことが大変で、成瀬先生には怒られてばっかりでした。その後の栄東東大選抜の算数で僕は今まで取ったことのないようなひどい点数(30点/ 150点)を取ってしまい、とっても落ち込みました。しかも、その後にあった立教新座では受かったものの、算数で空らんを作ってしまい、怒られてしまいました。

そして迎えた2月1日の武蔵入試では算数をやったときの感触が悪く、落ちてしまうのではないかという不安をもちました。その後、桐朋中学校、海城中学校の入試を終え、3日に海城の時、母と父から武蔵合格の知らせを受けました。本当に嬉しかったですが、まだその時は実感がわきませんでした。小学4年生から6年生までを通して、鼎で僕は大きく成長することが出来ました。そして、第一志望合格に導いてくれた鼎の先生方、家族には感謝しかありません。最後まで、◯◯だった僕に勉強を教えてくれてありがとうございました。

Bくんのお母さまより

2月1日、本命校である武蔵の校舎に向かう息子のうしろ姿を見送り、夫の待つ車に乗り込むとしばらくして、私は「よかった~」と大きく声を出し、泣いていた。まだ始まったばかりなのに何泣いてるの。と夫は笑っている。でも、これまでのことを想うと、無事に万全の体調で武蔵に挑めていることだけで万々歳!の気分だった。

現在中3の姉が小6の春休みから、我が家は鼎にお世話になっている。 姉が6年の一年間だけで受験しようと試みた挙句、時間の足りなさを後悔したので、息子は4年の4月から通わせた。Door to door で50分程かかるのに、なぜわざわざ国立まで行かせるの?と、いろんな人に言われてきたけれど、子供たちは体調不良以外では休みたがらなかった。息子はとにかく小学校が大好きで、受験=仲良しの友人と離れ離れになることを嫌がり、鼎は楽しいけれど、地元の中学に行きたいなぁ。といった感じの4年生だったので、成績はもちろん伸びない。
勉強は鼎と夫に任せっきり、この3年間私が尽力したことは弁当作りと息子のやる気スイッチを如何にして入れるか、だった気がする。弁当もたまに夫。

小5夏から様々な学校の説明会巡り。最初のスイッチオンは、なんとなく合いそう、という気がした武蔵の説明会。虫捕りや自然が大好物の彼にとって、「学校内に川が流れてるって最高!」これに尽きる。説明聞くより川で遊びたいという彼をなだめ、先生方のお話を聞いていたら、「ママ、書くもの貸して。」と少し難しい説明を紙に書きだした。「楽しかった!校内の雰囲気も気に入ったし、僕はここに行きたい!」 二回目のスイッチは小5の小学校行事後。公立では珍しく、農村地域で長期宿泊体験を行うのだが、それがとても楽しかったので、やり切った感が生まれ、もっと勉強も頑張ろう!と気合が入ったらしい。たしかに、武蔵に通えばまた似たような宿泊体験学習の場がある。

三回目のスイッチは小5後半。社会で仏像やら歴史的建造物を覚え始めた彼の「実際に見てみたいなー」という呟きを実現するべく、奈良・京都旅行へ。実物から感じる歴史のリアリティに目を輝かせ、ギアが上がる。本格的受験勉強に突入する前の家族旅行納めでもあった。四回目のスイッチは小6の夏。このあたりで何度も押されたスイッチから、本人の本気も見えてきた気がする。まず、何かで怒ったついでに、それまでズルズルと許していたゲーム機等を没収。やり過ぎかなと思いつつ、結果家庭学習時間は微増したと思う。さらに、偏差値を武蔵に合格出来るレベルにまで上げるには、各教科何点上げないとダメか、というのを真剣に説明。小学校の賢い女子が偏差値70くらいあるのに落ちこんでいるのを目の当たりにしたのもこの頃。「俺、やばくね?」と気づき始める。復習ノートの仕上がりを成瀬先生に褒められ始めたのもこの頃だったか。内容よりもまず、丁寧に、読める字が書けるようになったことを母は喜んだ。なぐり書きからの成長!

それでも最後の合不合は最悪な結果、成瀬先生には「途中もちゃんと書け!」「空欄を残すな!」と最後の最後の最後まで叱り続けて頂き、すぐ泣いちゃう泣き虫な息子のメンタルを心配したが、彼の悔し泣きのあとの立ち上がりは毎回悪くなかったので、初戦の1月16日栄東(東大特待)の算数で見たことがないような点数をとって失敗し、静かに家で泣いていた彼を見て、まだ伸びる、まだやれる、と家族で最後まで緊張の糸が途切れなかったことがその後の全勝に繋がったのかなと思う。(面談時、過去実績で全勝とか見せられるとスゲーとしか思わず、他人事だったわけですが、実際のところ最後まで実感ゼロです。余裕だ〜って思ってらっしゃるご家庭なんてきっと、ほんの一握りかと。)

武蔵にいそう。通っている姿が見える。と先生方がおっしゃってくれていたが、第一志望の武蔵だけではなく、受験したすべての学校で、楽しく学生生活を送る息子を想像出来た。息子は2月1日の試験が終わるまで、武蔵しか見ていなかったが、3日の受験校では、ここに通うことになるかもと考えたりしたらしい。遡れば3年前、姉は直前にインフルエンザになり、2月1日を病み上がりで受験した。案の定不合格。第一志望ではない学校に通っているが、めっちゃ楽しそうだ。むしろ良かったのかもと思うくらいに。こうした鼎経験者の姉の存在も大きかった。鼎あるある悩み相談や、八つ当たりの的になってくれていた姉。一緒に支えてくれて有難う。姉も息子も、鼎で勉強の楽しさを教えていただいたことが、これからの長い人生に役立つことを実感している。

緊急事態宣言下の送迎や、遅くまで鼎に残っていた6年の最後、車で迎えに行くのが大変だったけれど、車中での他愛ないおしゃべりや、ぼーっと過ごす息子との時間も貴重な思い出。 大変な状況の中、これまで支えて下さった先生方、受付の方々、追いつけ追い越せで、一緒に切磋琢磨してくれた鼎のお友達、本当にお世話になりました。 きっと息子はまたすぐに、皆さんに会いたくなると思います。

Cくんより 武蔵中学校進学

僕は、三年生の時から鼎で勉強していました。はじめは、パズルのような問題を解いていました。問題が解けて、ほめられることがうれしく、一心不乱に楽しんでいました。三年生の時の授業は、いろんな先生がかわるがわるしてくれて、鼎の先生の事を覚えるいい機会となっていました。
四年生になると、授業も本格化して、クラスの人数も増え、にぎやかになりました。算数、国語、理科、社会それぞれに担当の先生がついて毎回予習してから授業にのぞみます。授業で出される宿題以外にも、課題となるテキストがあって、毎週やるのが億劫になるときもありました。やらないで行くと、先生は体調が悪いのかと心配してくれて、何となく申し訳ない気持ちになってやらなきゃな、と思うようになります。

五年生になると、四年生の授業が遊びだったかのように思える授業になってきました。やるテキストは四年生の時と変わりはしないものの、授業の復習やまとめに時間を追われる日々になってきます。
学校が終わってからすぐ家に帰り宿題をして、鼎に行くというスケジュールは何となく機械的に感じられて、でもそれをこなすのが楽しいという毎日でした。算数の復習ノートなんかは、先輩のモノを拝見することで、六年生の時の勉強の参考になります。まとめることで達成感も生まれるし、たまっていく様子を見ていると良くやっているといううれしさがこみ上げてきます。

六年生になると第一志望の学校も武蔵と決まりました。武蔵の合格に向けての勉強も始まるのですが、なんとまあその問題傾向が僕にあっていないようで、できるときはできても出来ないときは何にもできずに惨敗で心配になります。先生にも武蔵より麻布の方が、美学が似合っているなどと言われました。それでも、自然が好きな僕は学校に川が流れている武蔵に行きたいと思い、その意見を変えることなく頑張っていきました。
本当に何度も心が折れそうになっても、首の皮一枚つなげて頑張りました。うまくいった後ほど油断して最悪の状態になり、そこで注意をしまくってうまくいくとまた調子に乗ると言う事の連鎖でした。

残り一か月になると学校を休んで鼎づくしになりました。その中で、体調に気を付けながら頑張りました。残り一週間、緊張感が張り詰める中過去問を解きまくりました。うまくいかないときは何とか状態を戻して頑張りました。本番はあっさりと終わって、なんだかあっけなく感じました。ただ、頑張りと先生のお陰で第一志望に合格する事が出来ました。

僕は鼎で勉強できたことがとてもうれしかったです。いつも僕に寄り添い、時には厳しく‼ 時には優しく?! 指導をして下さった先生方に感謝をし、体験談とさせて頂きます。ありがとうございました。

Cくんのお母さまより

息子は、大学附属の小学校に通っていました。このコロナ禍で、もし受験が出来なかったらなどと不安になる事もあり、鼎での勉強は六年生の夏期講習までで終わりにしようと考えていました。しかし、ある日息子が家に帰って来た時、先生から話を聞いたそうで、「武蔵に行きたい!」と言い出したのです。調べてみると、自然が好きな息子にぴったりでした。こんなに合う学校があったのかと衝撃を受けました(笑)。

受験勉強に関しては親の我々は一切口を出さず、ただ、勉強だけの小学校生活にはさせたくなかったので、学校行事やお友達との交流、家族旅行などは周りの附属中に進む子と同じにやらせ、その分の勉強時間の確保に努めました。鼎の先生方もきちんと理解して下さり、習い事もテニスやオンラインの英会話は11月いっぱいまで続け、メリハリをつけた生活をすることを心がけました。
勉強に関して、息子は家ではほとんど話さないので、今どんな状態なのか、不安になる事もありましたが、息子と先生方を信じて見守るのが親の務めと思い我慢しました。

息子は附属中を蹴っての受験であり普通以上に背水の陣で精神的にもキツかったと思います。鼎の先生や仲間との楽しく充実した時間が無ければ武蔵への進学は無かったと思い、 改めて、七年前の長女の時から本当に長い間お世話になりました。

Fくんより 桐朋中学校進学

僕は四年生の四月に入塾しました。でも他の習い事がたくさんあって夏期冬期講習はいきませんでした。算数が好きだからという感じで塾に行っていて本気ではありませんでした。5年生になって本気で勉強しなくてはと思い、5年生の夏期講習の後ぐらいまでは頑張っていましたがそのあと勉強が嫌になってやらなくなってしまい、クラスが落ちてしまいました。

そこからは「やばいっ」と思い頑張って勉強しました。すぐにクラスが上がりました。そのあとはコロナで塾にも行けず思うように勉強が進みませんでした。6年の夏期講習から真面目に勉強に励みましたが、秋以降の合不合も成績がデコボコでした。算数が良くても国語が最悪だったり、理科が良くても社会が悪かったり。抜けまくりだった社会の知識などを重点的にやりました。

鼎の先生方の熱心な指導により冬期講習明けには、国語や社会も足を引っ張らなくなってきました。過去問も悪い点数を取らなくなってきました。
そして最初の受験の栄東では緊張して頭が真っ白になりましたが、なんとか合格しました。栄東の東大選抜は不合格でしたが、立教新座も合格してだんだん受験にも慣れてきました。1月31日前日ギリギリまで先生方は出来る限りのことをしてくださったので、僕も全力で頑張りぬくことができました。
2月1日当日は、早朝から塾でウォーミングアップをし先生方が気合を入れて送り出してくれたので、とても心強かったです。第一志望は不合格でしたが、第2志望に合格することが出来ました。

鼎の先生方、三年間色々な経験をさせていただきました。 本当にありがとうございました。

Fくんのお母さまより

4年生の4月。算数大好き、算数の勉強がしたいとスポ少サッカーに夢中の息子があまり深く考えず入塾しました。 算数=勉強と、ほとんど算数にしか興味ありませんでした。 4年生の頃は、サッカーを優先し、季節講習も全く受講せず…

5年生になり、サッカーをやめたものの学校が楽しく塾は二の次。面談の度に成瀬先生から「幼い。宿題もさらっとしかやってこない。」と言われる始末。それでも塾の授業はとても楽しく、一度も後ろ向きな発言はありませんでした。好奇心旺盛な彼の性格上、ずっと勉強ばかりに集中することは難しいと分かっていたため、「とにかく6年の夏以降が勝負だから、そこまでは塾の勉強にしっかりついていくんだよ。」と、声掛けだけはしていました。それ以外勉強のことは塾におまかせ。

6年の夏以降、真剣になり始めたものの秋になっても模試の結果は芳しくなく、彼なりにさすがに思うところがあったようです。目を覆いたくなるような偏差値だった国語と社会。小町谷先生、小池先生は、授業外でも丁寧に指導してくださり、なんとか足を引っ張らない程度まで引き上げてくださいました。 成瀬先生の授業は息子にとっては最高に楽しく、崇拝しておりました。 岡本先生の授業で得た情報の多さは、日常会話でも生かされております。

最後、冬期講習以降は来る日も来る日も朝から晩まで塾で勉強に励み、受験の日も終了後は塾に直行。結果が良くても悪くても次へ向かって努力し続ける彼を見て、この経験は勉強以外にも得るものがとても多く大きな成長を感じました。本人の第一志望校は残念でしたが、親が望んでいた学校へ合格することができました。 自ら志望校を選び目標を高く持つことででき、そこへ向かって努力する場を与えてくださり、ずっと寄り添ってくださった鼎の先生方に深く感謝しております。 本当にありがとうございました。

Gくんより 桐朋中学校進学

僕は、小学3年の終わりから鼎進学教室に通い始めました。最初は早稲田実業が志望校でしたが、5年の時に桐朋を見に行き志望校を変えました。でも、その時は受かると思っていませんでした。
6年生になり夏前の合不合で理社の暗記や国語ができなくて偏差値が低すぎたので理社の四科のまとめなど、国語の文章を何回もやりました。その結果最後の合不合では今までで一番高くなりました。

1月校では10日に受かった所の特待生を狙い11、12日も同じ所を受けましたが、合格者最低点から20点も離されました。けれど14日は合格者最低点から20点以上高く合格しました。次は今まで目標にしていた桐朋だと思うと、緊張していました。本番まで数日前の日につかれているのか算数の解答用紙の氏名の所の名前をまちがえてしまいました。

本番は国語はよくできたと思いました。桐朋が終わったら鼎に行き自己採点をしました。算数は3問まちがいでそのうちの1問は大問この(3)でかけわすれをしてしまいました。よくできたと思った国語は実際は全然出来ていなくてなんとか半分にとどいたくらいでした。家に帰り、不合格だと確信して結果が出る前に寝てしまいました。次の日の朝に母から「合格だ」と言われおどろきました。
前から目標にしていた学校に合格してよかったです。勉強がいやだった時もありましたが、やってきてよかったと思っています。
鼎の先生方今までありがとうございました。

Gくんのお母さまより

「えっ? 合格?」 2月1日、桐朋の合格発表を見て、親、のけぞる…
まさかこんな日がこようとは、思ってもみませんでした。
「厳しいけれど楽しく通えて、最後の半年は全ての勉強を塾内で済ませる塾がある」と聞き、3年生の冬期講習を経て、2月から鼎に通い始めました。初めての組み分けテストが終わり1組からスタートしましたが、成績は落ちる一方。宿題もきちんとこなすはずもなく、あっという間にクラス落ち。息が止まるような成績をとりました。 塾は続けたい、でも宿題は頑張れない。という状況が長く続き、4年の終わりには、退塾の相談に行くほどでした。5年の後半、やっと算数が安定。しかし、苦手な国語と社会は低空飛行のまま。相変わらず、桐朋は雲の上の存在でした。

6年、コロナでまさかの学校休校。時間だけは有り余っている…これはチャンス?と、最大の苦手科目である国語について、小町谷先生に相談。
「いっちょやりますか!!」小町谷先生による補習がはじまり、受験直前まで続けていただきました。 また、この頃から、宿題の大部分は塾で済ませるようになりました。それでも成績は思うようには上がらず、最後の合不合を迎えても、桐朋に受かりそうな気配は見えません。

12月半ば、満を持して?算数の調子が上がり。時々、過去問で驚くような点数を取るようになりました。 それでも、その頃も息子は相変わらず。自宅では緊張感もなく、受験期という雰囲気ではありませんでした。
そして、1月25日、立教新座からの帰り道。「算数の時間配分を誤った。不合格だ」と、悔しくてたまらない様子。息子の初めて見る姿。受かろう!という強い気持ちを持っていたことに、初めて成長を感じました。
1月31日。桐朋受験の前日を迎え、今までとは打って変わって、緊張感から、夕食があまり喉を通らず。マイペースな息子も、この日はさすがに、翌日の持ち物準備をしました。

2月1日。息子は一人で桐朋に向かいました。夜、息子就寝後に桐朋の合格発表。 受かっていたら絶対に起こす!という約束のもと、疲れ切って熟睡している息子に、声をかけ何度も揺らし、合格を伝えると… 寝ぼけながらも、反射的に跳ね上がりました。よっぽど嬉しかったのだと思います。そして、嬉しすぎて夜中の3時まで眠れず…それでも翌日は、5時半に起きて鼎に向かい、寝不足のまま最後の受験を終えました。

最後の半年間、親は何度も桐朋から撤退しようとしましたが、その度に、息子の固い意志と先生方の励ましで、最後まで桐朋をめざすことになりました。 息子の力を信じ続けてくれて、全くぶれなかった先生方のおかげで、3年間どうにかやってこられました。また、厳しいけれど楽しい鼎で、素敵な戦友たちと一緒だったからこそ、過酷な受験期を乗り越えられたのだと思います。 親子ともに感謝の気持ちでいっぱいです。
「これで終わりじゃないよ。今からまた始まりだよ。これからは、誰も何も言ってくれないから、もっと大変な道だよ。そういう学校を自分で選んだのだから。」
合格後に小町谷先生からいただいたはなむけの言葉。6年間忘れずに学校生活を送ってほしいと願っています。

Jくんより 城北中学校進学

僕は小学3年生の終わりごろにこの鼎進学教室に入りました。入った当時は組み分けテストでもいつもヤバい結果でした。4年生の春期講習に2組に上がり先生もかわりました。そのまま5年生まで2組で続けました。6年生になったとき成瀬先生にかわり授業内容が難しくなりスピードも速くなりました。そして授業についていけなくなり、つらすぎて塾に行けなくなってしまいました。
車で塾に来るときも車の中で閉じこもってなかなか塾に行けなくて、成瀬先生と岡本先生にわざわざ来てもらっていました。今では大変迷惑をかけてしまったと思っています。11月ごろには3組に下げてもらいました。3組ではもともと友達もいたのですぐになじめました。でも社会以外の先生は全員かわって授業のペースも全然違いました。だけど自分はこちらの方が合っていると思い3組で続けました。

1月入試では大宮開成には○をもらいましたが立教新座は×でした。そして、そのまま2月入試になりました。1日は城北と國學院を受けましたが両方ダメでこれはヤバイなと思い、その日は2日に受ける頴明館を受ける自信が無くなってしまいました。でも、2日の頴明館は受かりました。3日目の國學院もSTではなかったけれど一般で合格しました。この辺りから勢いづいてきて4日目の城北も受かりました。城北を受けて受かったときはとてもうれしくて塾を続けていて良かったと思いました。5日は自分が1番受けたかった本郷を受けることができました。本郷は落ちてしまったけれど自分としては悔いなくできたので終わったときにはとてもスッキリしました。
僕のことを支えてくれた鼎の先生方、ありがとうございました。

Jくんのお母さまより

激動の1年間、そして激動の5日間でした。終わってみれば、すべて懐かしい思い出です。親子とも忘れることのできない最初で最後の貴重な思い出です。味わった苦しみや喜びは、今後の息子の人生の糧となるでしょう。
我が家のマイペースな息子は、合不合の偏差値50を越えたのは1度きり。しかも夏以降、体調不良、学校のごたごた、勉強へのモチベーションの低下。結果、塾へ行くことができなくなるという悪循環に陥り、何度受験から撤退しようと思ったかしれません。
そのたびに先生方が話をきいてくださり、またサポートしてくださり、11月からクラスを一つ下げての再スタートをきるという結果になりました。

元気を取り戻したものの受験生という自覚が感じられず、イライラする毎日でした。元気になっただけで十分、これが今の息子なのだから受け入れるしかないと何度自分に言い聞かせたことか。私にできることは生活リズムを整え、栄養と睡眠をしっかりとらせ、家でリラックスできるような環境を整えること、そしてたま~に釘を刺すこと。正直、鼎でどのような学習をしてくださっているのか、よくわかりませんでした。でも当初より「勉強は私たちにお任せ下さい」とおっしゃって下さっているその言葉を信じ、勉強についてはほとんど口出ししませんでした。

初日の2月1日に午前午後とも不合格という結果をいただき、どん底に突き落とされた息子でしたが、翌日からの先生方からの手荒くも温かい励ましや受験会場で友達に会ったことで平常心を取り戻すことができました。進学する城北の3回目で合格を頂いたときには、初日と3回目とでは問題用紙への手の動かし方が違っていたようです。息子なりに「これはヤバい」と感じたのでしょう。火事場の馬鹿力とはまさにこのことかもしれません。
常に「手を動かす」という鼎のご指導を再現できたことや試験問題でも奇跡的なことが起こるなど、合格を導いてくれるような不思議な力を感じずにはいられませんでした。息子には5日間の熱いドラマを見せてもらいました。
苦労して勝ち取ることのできた合格は、今まで息子が歩んできた道のりと重なり、感慨深いものとなりました。でもこのドラマの背景には、鼎の先生方の粘り強いご指導と大きな支えがあってこそです。

Kくんより 成蹊中学校進学

ぼくが鼎に来たのは、4年生の春期講習からでした。4、5年生の時は問題を解いたら解いたままで復習をしない日々が続いていました。組分けテストは毎回結果が同じでした。しかし、桐朋中学の文化祭に行き、この学校きれいだなと思ったまま、5年生が終わり6年生になりました。

算数は成瀬先生に変わった時にしょうげきを受けました。毎日怒られる日々が続き、最初はがんばっていたがコロナで鼎が休みとなりぼくは一気になまけてとても成績が下がってしまいました。算数の授業にはついていけずとてもつらかったです。7月ごろにはぼくが鼎に行きたくないと言い、自暴自棄になってしまいました。
この事があってぼくは中央大附属中学に行きたいと思いこころをあらため6-3に行きました。算数は横田先生に変わり9月の合不合では算数が良くなりました。12月の面談でダメだしをされここから本気になりました。1月は学校をずっと休んで鼎に行き朝から夜まで過去問を解いたりしていました。

入試直前になると入試壮行会というものがあり、たくさんの先輩が来てはげましてくれました。入試当日、朝早くから鼎でアップをして、はげましてくれました。結果は成蹊中学に合格できてとてもよかったです。先生たちが助けてくれたから合格できたと思います。本当にこの3年間ありがとうございました。

Kくんのお母さまより

「受験やめなくてよかった。いままでありがとう。いっぱい心配かけてごめんね。」2月4日、最後の試験を終えて帰宅した時、こう言ってくれました。全て報われた気持ちになりました。
我が家にとって、中学受験は本人の意志ではなく、受験を通じて成長して欲しいと言う父親の希望でした。 息子にとって私立の受験勉強の難易度は高く、サッカーを続けながら土日も課題をやっていましたが、なかなか成績を上げることができず苦戦していました。
そのうち、組分けテストが難しいのは当たり前、自分はその程度しか取れないという思いと慣れ、そして手抜きも覚え、あっという間に新6年生になってしまいました。

授業についていけず自爆して2週間不登塾になってしまった時は、先生方にご心配とご迷惑をおかけしました。 このまま受験すら辞めてしまうのかとかなり焦りましたが、自暴自棄になっている息子をなだめ、本心を聞きました。クラスを下げることを提案し、どの学校なら頑張れるかなど、とことん話し合いました。(この時、全ての親力を出し切ってしまったので、入試直前~本番まで、私は落ち着いていました)

塾に戻ってからは、63クラスで夏期講習スタート。やるやる詐欺だった息子が早々変われるわけではないので、秋と冬の面談では先生たちからダメ出しのオンパレード。圧倒的に勉強量が足りない、手を動かしていない、本気みせろ、このままではどこも受からないよ?と。
まだこんな事を言われてしまうんだ・・・と情けなくなりました。 息子が志望した学校は、記述が多く思考力が必要な成蹊、持ち偏差値よりもかなり上の中央大附属で、どちらも彼には不向きな出題をする学校を選んでしまいました。

1日の成蹊で○をもらい、4日の中附にチャレンジするスケジュールにし、受験のチケットを手に入れることが我が家の目標になりました。成蹊では、算数でヘマをしたようですが、相性が合わないと言われていた社会が取れ(渡辺先生大喜び)、苦手な理科もその日だけは神様が降りてきてくれたようでした(律先生びっくり)。 4日の中附に挑戦できたことは、親子ともに感無量でした。結果はどうあれ一度挫折した息子がここまでたどり着いてくれたことが嬉しかったです。
彼が会場から出てきた時は少し泣きそうになりました。 息子は先生たちの御指導がなかなか響かなかった生徒だったと思います。それにもかかわらず、最後まで励ましの声を掛け続けていただけた事、合格まで導いていただけた事、本当に感謝いたします。

3年間塾に通い続けられたのは、鼎の授業が楽しかったからと、クラス友達に恵まれたからと言っています。 4月から、ご縁のあった成蹊中学に進学させていただきます。 鼎の説明会で、毎年先生たちに会えるのかな? マル秘資料で、息子のおそろしい合不合データが開示されてしまうのは大変恥ずかしいのですが…こんな生徒でも頑張ったんだよ!と今後の鼎生の励ましのデータとして活用できるのであれば幸いです。

Mくんより 穎明館中学校進学

「頴明館までの道のり」
僕は、3年生の2月に鼎に入りました。第一志望は帝京大学中学校で、第二志望が頴明館中学校でした。 ですが、6年生の最後の合不合でも帝京大中は20%で、頴明館も70%でした。そこで自分の苦手であった漢字を練習するようになりました。国語は得意だったのですが、いつも漢字で足を引っぱっていたからです。毎日の漢字テストの直しをして先生に提出しました。

そしていよいよ1月受験が始まりました。西武文理は特選で合格しましたが、大宮開成は不合格でした。その後は、朝は受験の練習として早く起き1時間半ほど勉強をしてから塾に行く、ということを習慣づけていきました。塾でも先生の話をよく聞いて、言われたまま取り組めば色々な問題が解けるようになるということにようやく気が付きました。ですがその後は成長しつづけ、入試の4日間が1番成長出来たと思います。

そして入試本番の1日目は、頴明館とおさえの明法を受けました。頴明館は13点差でおちてしまいましたが、明法はサイエンスGE合格を取ることが出来ました。2日目は、午前・午後ともに頴明館を受けましたが、午前は、16点差で午後は18点差でおちてしまいました。ですが日がたつにつれて難しくなるのに、合格者最低点と自分の点数の差があまり変わっていないのに気付き、少し成長出来ていると感じました。3日目は帝京大中を受け、おちてしまいましたが、4日の頴明館は合格者最低点+15点で合格することが出来ました。
僕が受験を通して学んだことは、先生の話をよく聞いて、素直にこつこつと勉強するということです。
つらいこともありましたが、最後まで見守っていただいた先生方、本当にありがとうございました。

Oくんより 頴明館中学校進学

僕は小4で鼎進学教室に入りました。 5年生の時に、色々な中学校を見に行きました。その中で城北中学校は、きれいな設備でやさしいお兄さん達について説明してくれました。楽しそうなお兄さんたちにあこがれて、城北中学校にいきたいと、なんとなく思いました。他の中学校も見学に行きましたが、城北中学校が一番印象に残って憧れました。ただ塾に通っているだけで宿題をしていかないでときどき先生に怒られていたりして、あっというまに6年生になりました。

5年生の時は、週3回の塾が、6年生になって週4回が最後は週6回になりました。それでも先生とクラス仲間のおかげで楽しく塾に通えました。ただ家ではのんびりして、以前と変わらずに、先生たちに怒られないように、宿題だけをやっていくような感じでした。

合不合判定テストは、一度も偏差値40にも届かず、城北の合否判定は全て20%以下でした。 でも何となく、どうにかなると感じ、鼎に行っていました。1月になり、埼玉受験がはじまりました。大宮開成を2回受験して、自分の点数と合格点に大きな差があることを認識できました。

その後も、毎日塾に行って志望校の対策や過去問、プリントをやって2月の本番に備えました。家でも、両親や先生から、まず行く学校の合格を貰わないと城北の受験はできないと言われて、1日に東京電機大を午前・午後受験しました、その日のうちに結果が出て、午前は×でしたが午後の算数1科受験は○を貰えました。その勢いで頴明館もギリギリ○を貰いました。2月3日は鼎で城北対策をして、4日に城北を受験することができました。城北は残念ながら×でしたが悔いなく受験を終われました。 鼎の皆様ありがとうございました。

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