Dさんより 吉祥女子中学校進学
私は、四年生の春に鼎に入りました。体験の際、友達が誰一人できず落ち込んでいました。けれど、一人の女の子が話しかけてくれたおかげで「鼎楽しすぎ‼」と思えるようになりました。他の塾に行っても鼎の楽しさには勝てず、入塾することになりました。今でも鼎の楽しさは私の中で一位です♡なので、鼎を好きになれたきっかけの女の子には感謝しています。
無事、入塾して少し経ったとき、復習ノートが始まりました。私は最初、「復習ノート楽しい‼」と思って続けていたけれど、途中から「メンドくさいなあ」と思い始め、説明を書かなくなったり、やらなくなったりしました、しかし、五年生の途中に岡本先生から成瀬先生に変わり、「やらないとダメだ」という危機感を覚えるようになりました。その後、成瀬先生に復習ノートをほめてもらえたり、okの大きさや色の数を見るのが楽しみになるようになりました。例えば、okの大きさが小さいと凹んだり、大きいと「やった〜」というように復習ノートによって気分が変わるようになりました。努力をするきっかけをくれた復習ノートを作ってくれた鼎には、感謝の気持ちしかありません。ついに、一月入試。私は栄東のA日程が合格だったため浮かれてしまい、浦和明けの星ではダイヤグラムが小さすぎて間違えてしまったりと大失敗。結果は予想通り×。そこで、はじめて「ヤバい」と実感しました、そこから2月まで、問題文を読み間違えないように注意したりと何事にも本気で取り組みました。あっというまに2/1。鼎に朝行ったときは、心の中は緊張だらけでした。でも、鼎から出る時に成瀬先生に、「緊張してんの!?」と言われた時に口調がいつも通りで少し安心しました。試験が終わって鼎に帰ってきたあと、自己採点で算数のできそうなところを落としてしまったので、内心大丈夫かな?と不安でした。そのせいで、夜ご飯もあまり食べられませんでした。けれど、全力を出しつくしたし、吉女は2日もやってくれるから大丈夫と心を落ち着かせて、発表を見ました。結果は合格。今までの努力が報われたと喜びを感じました。けれど、まだとれるところがあったため、それを補えるように頑張りたいです。また、合格者最低点で受かったので、そこもリカバリーできるような中学生になりたいです。そのために、これからも復習ノートを続けてきたかのように努力し続けたいと思います。
最後に、最高の受験勉強をさせてくれた先生方や将来につながる努力の仕方を教えてくれた鼎、鼎という居場所を与えてくれたお父さんとお母さんには感謝の気持ちでいっぱいです。鼎のこと、先生たちのこと、生涯忘れません。本当にありがとうございました。
Dさんのお母さまより
「合格おめでとうございます。」
2月1日21時過ぎ。スマホでこの文字を見たときの震えるような感情を、忘れることはありません。入塾当初から憧れ続けた吉祥女子への合格。娘の努力が報われた瞬間でした。
私自身は中学受験の経験がありませんが、「親以外の影響を大きく受ける多感な時期を、最適な環境で過ごしてほしい」との思いから、受験を徐々に考えるようになりました。まずは王道のSに入塾しましたが、進め方や方針に違和感が募り、早々と転塾を決意。相談した知人から「全部お任せできる塾が近くにあるよ!」と聞き、鼎の門をたたきました。娘は体験授業ですぐにクラスに馴染み「ここがいい!」と即決。4年途中に鼎生となりました。
塾は噂どおり面倒見がよく、答えの正誤だけでなく、問題への向き合い方やテストへの取り組み具合もしっかり見てくださり、本人の性格に合わせた指導をしていただけたと感じています。そのおかげか本人は鼎が大好きに(笑)。嫌がらず塾に通ってくれるのは、親として大いに救われました。
4,5年生の成績は、偏差値55〜60をうろうろ。教科による成績の差は少なかったですが、国語への苦手意識が強い感じでした。
そのころから学校の説明会や文化祭に足を運ぶようになり、校風やカリキュラム、アクセス面などから、吉祥女子いいよね、と親子共思うようになりました。今後の伸び次第で手が届く絶妙なラインだったのもあり、自然と志望校になっていきました。
そして6年。通塾頻度、時間もぐっと増え、いよいよ塾一色の生活となりました。もともと勉強のフォローはあまりしていませんでしたがさらにその傾向は増し、親は体調管理とメンタル管理、塾弁作りがメインとなりました。
鼎大好きな娘でしたが、怒涛の夏期講習で疲弊してしまい、先生から休めと言われた日もありました。また、徐々に受験というイベントが自分事に思い始めたのでしょう。漠然とした不安や疲れから、なんで毎日勉強ばっかりしなくちゃいけないの、もう行きたくないと泣く日もあり、親としては受験の選択がよかったのか、精神的にまだ幼い娘には早かったのかと悩んだ時期もありました。
6年生後半。あれだけやりましたが偏差値は微増程度で、周りも同じくがんばっていることを痛感しました。ですが算数は復習ノートをこつこつがんばってきた効果か、成績が向上・安定した印象です。国語は問題によって取れたり取れなかったりで、まだ不安定でした。志望校については、変わらず吉祥女子。判定は35〜70%あたりと回によって変動が大きく、最後の合不合でも大きな伸びはなく‥‥。不安になりましたが先生方からはこのまま第一志望でいきましょうと心強い言葉をいただき、受ける決意をして併願スケジュールを組みました。
1月埼玉入試。最初は栄東でしたが、算数でやらかしたと本人の自覚もあり、不合格。ですが翌日の2回目受験では、前日の失敗を受けて軸を立て直し、合格を勝ち取りました。初めてもらう「合格」という文字。2月の本番に向けて大きな安心を得ました。
その後の浦和明の星は、残念ながら不合格。本人の中では、この2回の不合格通知が思いのほかこたえたようで、追い上げの契機となりました。何か振り切ったように、自分に集中し、やるべきことをひたすらやっていたように思います。
そして、2/1。 少し緊張した面持ちでしたが、最後は笑顔で会場に入りました。終了後も「手ごたえがあった」と話し、やりきった顔。そして、見事合格を勝ち取りました。
第一志望合格、2/1で終了という最高の結果で娘の受験は終わりましたが、この経験を通して強く感じるのは、結果どうこうより、本人が精神的に大きく成長した、という点に尽きます。本音で向き合ってくれる先生方や互いに刺激しあえる仲間に支えられ、最後まで粘り強く戦う力、自分の苦手を認め対策し立て直す力、状況を整理して気持ちを切り替える力、といった今後の娘の将来に必ず活きる精神力を養うことができました。この精神的な成長という土台があったからこそ、学力が向上し、合格を勝ち取れたと思います。また、親としても、自走を促し、適度な距離間でサポートすることでいい関係性が保てました。
受験突破はゴールではなく、ひとつの節目であり、これから新たな生活のスタートとなります。娘らしく、楽しく生き生きと、中高6年を過ごしてほしいと思います。鼎という場でなければ、このような貴重な経験と、家族の精神的な成長は得られなかったです。先生方、同級生のみんな、事務の佐藤さん、本当にありがとうございました!