Jくんより 城北中学校進学
僕は小学3年生の終わりごろにこの鼎進学教室に入りました。入った当時は組み分けテストでもいつもヤバい結果でした。4年生の春期講習に2組に上がり先生もかわりました。そのまま5年生まで2組で続けました。6年生になったとき成瀬先生にかわり授業内容が難しくなりスピードも速くなりました。そして授業についていけなくなり、つらすぎて塾に行けなくなってしまいました。
車で塾に来るときも車の中で閉じこもってなかなか塾に行けなくて、成瀬先生と岡本先生にわざわざ来てもらっていました。今では大変迷惑をかけてしまったと思っています。11月ごろには3組に下げてもらいました。3組ではもともと友達もいたのですぐになじめました。でも社会以外の先生は全員かわって授業のペースも全然違いました。だけど自分はこちらの方が合っていると思い3組で続けました。
1月入試では大宮開成には○をもらいましたが立教新座は×でした。そして、そのまま2月入試になりました。1日は城北と國學院を受けましたが両方ダメでこれはヤバイなと思い、その日は2日に受ける頴明館を受ける自信が無くなってしまいました。でも、2日の頴明館は受かりました。3日目の國學院もSTではなかったけれど一般で合格しました。この辺りから勢いづいてきて4日目の城北も受かりました。城北を受けて受かったときはとてもうれしくて塾を続けていて良かったと思いました。5日は自分が1番受けたかった本郷を受けることができました。本郷は落ちてしまったけれど自分としては悔いなくできたので終わったときにはとてもスッキリしました。
僕のことを支えてくれた鼎の先生方、ありがとうございました。
Jくんのお母さまより
激動の1年間、そして激動の5日間でした。終わってみれば、すべて懐かしい思い出です。親子とも忘れることのできない最初で最後の貴重な思い出です。味わった苦しみや喜びは、今後の息子の人生の糧となるでしょう。
我が家のマイペースな息子は、合不合の偏差値50を越えたのは1度きり。しかも夏以降、体調不良、学校のごたごた、勉強へのモチベーションの低下。結果、塾へ行くことができなくなるという悪循環に陥り、何度受験から撤退しようと思ったかしれません。
そのたびに先生方が話をきいてくださり、またサポートしてくださり、11月からクラスを一つ下げての再スタートをきるという結果になりました。
元気を取り戻したものの受験生という自覚が感じられず、イライラする毎日でした。元気になっただけで十分、これが今の息子なのだから受け入れるしかないと何度自分に言い聞かせたことか。私にできることは生活リズムを整え、栄養と睡眠をしっかりとらせ、家でリラックスできるような環境を整えること、そしてたま~に釘を刺すこと。正直、鼎でどのような学習をしてくださっているのか、よくわかりませんでした。でも当初より「勉強は私たちにお任せ下さい」とおっしゃって下さっているその言葉を信じ、勉強についてはほとんど口出ししませんでした。
初日の2月1日に午前午後とも不合格という結果をいただき、どん底に突き落とされた息子でしたが、翌日からの先生方からの手荒くも温かい励ましや受験会場で友達に会ったことで平常心を取り戻すことができました。進学する城北の3回目で合格を頂いたときには、初日と3回目とでは問題用紙への手の動かし方が違っていたようです。息子なりに「これはヤバい」と感じたのでしょう。火事場の馬鹿力とはまさにこのことかもしれません。
常に「手を動かす」という鼎のご指導を再現できたことや試験問題でも奇跡的なことが起こるなど、合格を導いてくれるような不思議な力を感じずにはいられませんでした。息子には5日間の熱いドラマを見せてもらいました。
苦労して勝ち取ることのできた合格は、今まで息子が歩んできた道のりと重なり、感慨深いものとなりました。でもこのドラマの背景には、鼎の先生方の粘り強いご指導と大きな支えがあってこそです。