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2025年度 合格体験記

Hさんより 富士見中学校進学

私は3年生の時に夏期講習だけ行き、4年生から入塾しました。初めは説明を受けてもよくわからず、自分だけできないということがあったので、4年生後半から始まった復習ノートも何をすればいいのかわからず、あまり出しませんでした。
5年生後半に算数が成瀬先生になり、復習ノートに関して評価の高い丸が欲しいと思い、復習ノートを細かいところまで説明するようになりました。
6年生になってからは、成瀬先生から「もう少し文字を減らして見直しをした時、パッとすぐ理解できるようにした方がいい。」とアドバイスしていただいたので、なるべく見やすくなるよう努力しました。理社は家で4科のまとめを解いてもなかなか成績に結び付かず、4年生の時にしっかりやらなかったことを後悔しました。しかし受験本番が近づくにつれ、それまでの反省もあり授業の内容も覚えられるようになりました。加えて、自主学習もしたのでミスを減らせたと思います。
本番の1月10日に私は開智所沢を受けました。一般入試の結果は合格。私はとても嬉しく感じました。1月11日算数特待入試では大問1個どうすればいいか分からず、試験が終わった後はとても不安になっていました。結果は不合格。なので1月15日の特待入試に全力を出そうと思いました。しかし不合格。2月1日に不安を抱えながらも残りの日を過ごしました。
むかえた2月1日。心の中ではとても緊張していました。でも全力を出したいと思い、無理矢理冷静になり試験を受けました。しかし算数でミスをしてしまい、結果は不合格となってしまいました。
2月2日はいつもの気持ちを取り戻してやれたと思いました。しかし、合格点には届きませんでした。
2月3日は富士見と久我山STの両方を受けました。その両方とも試験を受けた後はやりきれた感があり、悔いは残りませんでした。結果は両方とも合格。これで私の受験は終わりました。
2月1日、2日は残念な結果になったけど、チャレンジできたことはよかったです。
富士見への入学、楽しみにしています。

Hさんのご両親より

兄と妹を合わせて足掛け6年間、本当にお世話になりました。
兄が鼎に通い、卒業までの日々を間近にみてきたこともあり、彼女にとって中学受験に臨むことと、新4年生から鼎に通うことは、いずれも自然なことのようでした。

そのような本人の意志表明もないままのスタートにも関わらず、3年の間、ただの一度も受験を辞めたい等の泣きごとを言わなかった真面目で芯の強い性格は、親からみても大変立派でした。本当によく頑張ったと思います。

一方、彼女の拘りの強い性格は、学習面では、素直な習得の妨げになることも多々あったようです。鼎の指導と本人の拘りの鬩ぎあいのなか、あるべき姿に向けて軌道修正を図る努力が続きました。

6年生になっても、第一志望校の合格偏差値と、彼女の持ち偏差値に乖離があるなか、面談では如何に得点力を上げて合格ラインに届かせるか、追込期間の効果的な学習と受験プランの相談を行いました。

本人は、きれいな校舎と文化祭の好印象、活発なダンス部など、早い段階から富士見中学校の志望度が高く、「偏差値が関係ないなら富士見に行きたい」と公言していました。

そのような中、1月の埼玉受験が思うような結果にならなかったこともあって、私たちの中でも、2/1を本人志望度が高い富士見の受験に切り替え、合格の確率を高めるプランがでてきました。本番間際の1月下旬、本人の了解を得て鼎を訪問し、成瀬先生に改めて相談しました。

成瀬先生からは、「最終的にはご家庭の判断ではあるが、自分としては、ここまで本人が合格を目指して頑張ってきたため、2/1・2/2はチャレンジ校を受験させてあげたい」と温かい言葉をいただきました。加えて、娘の実力を出せれば「2/2午後、2/3で富士見は合格できる」との心強いコメントもいただき、本人とも協議・納得のうえで、失敗を恐れることなくチャレンジ校を受験することとしました。

2/1の本番初日、チャレンジ校の受験終了後に校舎の外で迎えた彼女の表情は固く、不合格を悟っていたようでした。努めて冷静を装って昼食を食べたあと、翌日の受験対策のために娘を鼎に送り届けました。自宅で彼女の帰りを待つ時間はとても長く、息の詰まる苦しい時間でした。

2/2は、午前と午後のダブルヘッダーでした。幸い前日に心配された雪が降り積もることもなく、早朝、鼎に立ち寄り計算問題を解いた後、リベンジのためにチャレンジ校に送り届けました。校門入口で渡邊先生に声を掛けられ、元気に受け答えしていました。前日を引きずらない良い流れを感じつつ、校舎に消える娘の背中を見つめ、悔いが残らないように全力を出しきれることを願いました。

発表時間を過ぎても合格発表を見ようとしない娘の姿に、厳しい結果を覚悟しました。
合否いずれにしても、翌日の受験申込が必要なため、3人で結果を確認しました。結果は「不合格」でした。娘を早々に床に着かせつつ、事前に準備していた2/4成蹊受験の申し込みを済ませました。

この夜は、ほとんど眠れませんでした。
2/1に富士見の合格を獲りに行くべきだったのではないか、せめて2/2は富士見に変更すべきではなかったのかなどの後悔の念に駆られつつ、まだ続く受験に備えて、何かできることはないか、受験対策に見落としはないかなど、様々な考えが何度も頭をめぐりました。
そのような中、2/3午後受験の追加に思い至りました。当初から検討の遡上にありましたが、体力面等を考慮し具体化を見送ってきたプランでした。

当日申込が可能な学校を調査したところ、国学院久我山STが、当日の朝7時まで申し込みを受け付けていることを確認できました。
採否は本人判断に従うこととし、事前の準備を済ませ、起床してきた本人に提案。しばらく考えたあと「受験する」との回答がありました。
急ぎ、鼎に受験する旨を伝えたあと、滑り込みで申込手続きを済ませました。

娘の心身の負担増加は心配しましたが、悔いを残さない一心で、連日のダブルヘッダーを覚悟しました。

鼎で成瀬先生にカツを入れていただいたあと、富士見受験に向かう西武線の道のりで「自分のために全力で合格を勝ち取ってこい」と、初めて強めのエールを送りました。
前日の失敗を引きずらず、新たな気持ちで全力を出し切ってほしい、そんな気持ちでした。

娘を試験会場に送り届けた後、自宅にトンボ帰りして午後受験の準備を済ませ、午前受験の戦いを終えた娘を迎えにいきました。

前々日、前日の固い表情を思い浮かべながら、今日も同じ表情だった場合にも、午後受験に備えて、どのようにして切り替えさせるのか、なんと声を掛けようかなど、何度も頭の中でシミュレーションを繰り返しました。

試験会場から出てきた娘は、前日までに比べると少し明るい様子でした。とはいえ、本人が試験について一切触れない中、やきもきする気持ちを抑えつつ、午後受験に臨む気力が尽きていないことに安堵しました。事前に成瀬先生から「久我山ST受験の前に、本人から私に電話させてください」と申し出いただいていたこともあって、軽い昼食を食べた後に電話をさせました。

「どうだった?」との問いに、「たぶんできたと思う」とのこと。
結果はともかく、本人的には出し切れたんだね。ホントに良かった、と安堵しました。

久我山STは事前の対策をしていないため、諸々ぶっつけ本番でした。
午前受験での良い流れのまま臨めたことや、強い思い入れのなさが冷静さに繋がったのか、受験終了後の第一声は「ここまでの試験で一番できた」とのこと。

娘を鼎に送り届けたのは午後6時半すぎ。午後7時の富士見発表までの帰宅は間に合いません。
両親は自宅、娘は鼎で別々に結果を確認することになりました。
受験番号とパスワードを入力し、大きく深呼吸をして、ボタンをクリック。
画面に映る合格者の番号。その中から娘の番号を見つけたときは全身から力が抜けました。よかった。

時を同じくして娘も鼎で合格を確認した模様。電話の向こうの声が弾んでいました。
鼎から帰宅した娘の表情の晴れやかなこと。「おめでとう」「よかったね」と何度も伝えました。

自宅で合格の余韻に浸る中、成瀬先生から電話がありました。
「久我山STが時間を前倒して合格発表を出したけど、受験番号は何番だった?」。当日申込のため、受験番号を伝えるタイミングがなく、その確認の電話でした。
電話で受験番号を伝えつつ、慌ててネットを開いて結果を確認。再び画面に映る「合格」の文字。

前日まで不合格が続いたあと、本日は連続して合格の報。
中学受験におけるモチベーションの重要性を実感しました。

2/4受験は見送ることとなり、富士見合格をもって娘の中学受験は完結しました。
結果としては、第一志望に位置付けていたチャレンジ校には縁がありませんでしたが、本人が志望する富士見中学に合格できたため大満足の成果です。

自ら望み、自らの努力で勝ち取った富士見で過ごす6年間。青春を謳歌するとともに、その先の人生に繋がる何かを見つけられることを願っています。

最後になりますが、中学受験は幼さの残る小学生には大変過酷で、子供が主役ながらも、親がかりの一大イベントでした。我が家は兄と妹の2回の経験しかありませんが、いずれもセオリー通りにはいかず、其々の異なる重厚な物語でした。

そのような中、一つだけ実感としてお伝えできることは、鼎の先生方の情熱は本物で、其々が中学受験のプロ中のプロということです。信じて託せば、必ず向き合い応えていただける方々です。

兄と妹で足掛け6年もの間、ご指導いただけたことを改めて感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。

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