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2025年度 合格体験記

Jさんより 富士見中学校進学

私は小4の12月に全国統一小学生テストをきっかけに鼎に入った。
5年生の夏期講習2ヶ月前くらいに吉祥女子を目指すことが決まり、吉女を目指すには52クラスでなく51クラスに上がろうという話になった。
国語はできたが算数が壊滅的にできなかった。(4年の時200点満点の算数組み分けで32点を取った)
復習ノートを真面目にやったが上がれなかった。それを繰り返し、なぜ51クラスに上がれないのか両親が鼎に面談しに行ったりもした。
夏期講習に入る前の組み分けテストが終わり、今日から講習というときに51クラスに上がった。
算数が岡本先生から始まったが夏期講習が終わると成瀬先生に変わり、毎日叱られお前落ちるぞと言われ続けた日々だった。(でも帰ったら怒られたことすら覚えていなかった)得意だった国語だけでなんとか51にいた。ある時期になると落ちるぞと言われなくなり、怒られることも減った。
6年生になって社会が得意教科になったが算数と理科は苦手だった。
志望校が吉女から鷗友に変わり、第二志望が富士見になった。富士見は合不合で80%だったが鷗友は20%しか出なかった。
1月になり、開智所沢から始め、普通の一回目は受かったものの、特待Aは受からず、両親はまた面談しに行った。特待Bは開智本校は受かったが所沢は受からなかった。
2月が始まり、鷗友を受けた。自己採点をすると、計算と2番を落とした。社会は10点プラスだった。結果は不合格。
特に泣くわけでもなくそのまま寝て次の日、富士見。理科は心配だったけど他は自信があった。
私が富士見を受けている最中に父がまた鼎に面談しに行ったらしい。結果は合格。すごく安心して泣いた。次の日の鷗友で入試を最後にすることにした。
最後の入試はやり切ったと思った。結果は不合格だった。
今、私は塾が終わりすごく暇なので本を読んだり部屋を片付けたりしている。
みなさん、受験大変だと思うけど、終わったら本当に楽園なので頑張ってください。応援してます。

Jさんのお父さまより

鼎の先生方には大変お世話になりました。目標としていた鷗友の合格こそ取れなかったものの、長らく本人が最も興味を示していた富士見へ進学することができました。

鼎は娘が4年生時に試しに受けた全国統一小学生テストの受験会場として妻がたまたま見つけた塾です。
学童保育の期間が終了し自宅でダラダラ過ごす時間が増えてきたため、コロナ収束前でテレワークがメインだった我々両親は「これが卒業まで続くのは堪らない!」と、娘の放課後の居場所として長めに面倒を見てもらえる塾を探していました。
テストの待ち時間に開催された保護者向け説明会で「近年の高校受験と中学受験の違い」「他の塾や家庭教師と鼎の違い」など成瀬先生の話に引き込まれ、かつ「受験に向けた学習面は塾に全て任せて良い。むしろ家では教えようとしないでくれ」という鼎は、我が家には渡りに船でありました。
そしてどうせ同じ時間をかけるならしっかり中学受験を経験させてみようと4年生の12月から入塾。
開始時期は中学受験に取り組むには少し遅かったと今考えると思いますが、学習への取り組み方から何から根気よく叩き込んでいただき、ここまで引き上げて頂けたことに先生方には心より感謝いたします。

鼎の先生方は子どもの事をよくご覧になっていると思います。
年に何度か実施いただいた面談では、娘の様子など伺うたびに性格的なところも含め、親が気にしているポイントをまさに指摘いただき「よくみていただけている」と安心しておりました。
クラスの中では子供たちにかなり強めの言葉も出しているという話も伺いましたが、娘はそれに対してへこたれる様子もなく、登塾を嫌がることもなく最後まで走り切ることができました。

受験校に関しては、当初は通学が比較的楽そうだからという単純な理由から目についた吉祥女子を目指そうと娘には漠然と話をしていました。それが学校見学等での娘の反応や鼎の先生方との面談を踏まえて、6年生になってから目標校を吉祥女子から鷗友に変更。
組み分けテストで偏差値30台も出していた入塾初期から考えると、鷗友受験しても良いほど成長したということには感慨深いものがあります。
最終的な受験校としては、娘のなかで一番興味度合いの高かった富士見と合わせて、1月 埼玉受験数回。2月は鷗友、富士見、鷗友という順番で受験しました。

2/1 (土)。鷗友受験。朝起きるのが苦手な娘は、当日にもかかわらずなかなか起きることができませんでしたが、受験会場に向かう前に鼎で少し練習を行ってから会場に。しかし試験の感触は本人も悔しいところがあった様子。簡単な昼食後に鼎に移動し、翌日も鼎で朝練してから受験するのに20時ごろまで塾で頑張っていました。

2/2(日)。前日に比べ雪の予報が出るほど寒い中、鼎で朝練したのち富士見を受験。そして午後からは翌日の鷗友再受験に向けて鼎で準備。この日は昼に鷗友の結果発表があり、本人の自己採点の感触通り不合格。

ここで急に不安になった私(父)はここ最近の状況から考えられる受験校(不合格が続いた場合の予定変更)について急遽の相談をさせていただきました。突然の訪問にもかかわらずご対応いただきありがとうございました。
そこで聞いたのは娘の朝練での調子。「昨日の朝の算数の練習はボロボロでした。。。今日は1発で正解したのですが・・・」。以前より娘は算数の出来の波が激しく安定しないことを伺っていたのですが、波の低いところに当たってしまったのか。。。前日や当日朝の家での過ごさせ方や、学校に送るまでの間などもっとやりようがなかったかなど考えても終わってしまってからはどうしようもなく、親としては悔いの残るポイントでした。

そして夜には富士見の結果発表。受験番号を見つけ、無事合格。合格がわかった際の嬉しそうな様子。これは非常に印象深かったです。親としても気持ちが落ち着くのを感じました。

2/3(月)。鷗友再受験。 前日の合格で波に乗りたかったものの、残念ながら本人感触は2/1よりもできていなかった模様。
自宅での自己採点中に、最初の頃こそ「ここはあっている。ここは間違えた」など口に出していましたが、徐々に口数少なくなり、最後は無言。
2月本番が近づいた頃には「鷗友に受かりたい」と自ら口に出すほどに志望校として意識し頑張り、塾での様々な学校の過去問演習などから手応えも感じているようだった中での結果ですので、それなりに思うところがあったようです。 
翌日の結果発表は本人の予想の通り不合格。 希望して頑張っても手が届かなかった今回の経験は、今後のための大きな糧になったはずと思いながら、受験活動を終了しました。

この結果に辿り着けた塾生活などについても少し記載します。

6年生。塾の授業のない日も登塾。塾のある日はスープジャーに入れた温かいおかずとこ米飯を持たせ、授業後も残って復習等を実施。塾にいる時間は格段に長くなりました。
それまでは塾から帰宅後に宿題などに取り組んでいたのですが、家にいるとどうしても読みたい本に手が伸びてしまったり、ノートを開いたまま寝てしまったりなどしてしまうので、できるだけ塾で済ませてから帰るように。という生活としました。
心配になるくらい遅い時間まで残る日も多かったのですが、娘以外にも同様に残る子たちがおり、志望校は違えども塾の仲間として切磋琢磨できていたように思います。先生方も遅い時間までありがとうございました。

受験校選定に関しては、面談時にお話いただく娘にあうであろう学校のご紹介はもとより、各校の見学会や文化祭への参加が参考になりました。6年生になってからも数回参加しましたが、5年生以前にもそれなりの数の見学会等に参加したので、各校の考え方や生徒の様子など比較できたのが良かったです。何より、娘が明確に興味を持った学校、そうでもない学校が明らかになったことが学校紹介イベントへの参加で特に良かったポイントです。
見学会という意味では、親としては鼎主催の見学会も非常に役に立ちました。鼎主催の見学会は平日のため参加は保護者のみですが、鼎目線での学校説明の後の学校側からの説明。それから学内見学でそこで学んでいる生徒のナマの様子までも見られる貴重な機会で、受験校選定の基準ができていったように思います。

最後に、繰り返しになりますが、ここまで娘を引き上げてくださった鼎の先生方に心よりの感謝を申し上げます。

ありがとうございました。

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