Mさんより 恵泉女学園中学校進学
今でも覚えている5年生の夏の鼎の体験授業。教室で先生を待っている時に入ってきた人の髪が赤色でピンピンのモヒカン。しかもスーツを着ていない人。それまで私は日能研に通っており、先生はみんなスーツを着ていた。きっとこの建物の管理人さんみたいな人だろう!と自分に言い聞かせた。しかし5時になると、その人は立ち上がり授業を始めた。その人は「渡邊先生」というらしい。渡邊先生は厳しく面白い先生だった。私は毎回怒られた。最後まで怒ってくれた。
5年生の頃、理科は朱里先生だったが6年生になると岡本先生になった。岡本先生はとても面白くはじめはそんなに叱られなかったが、入試間近になるとよく怒られた。当然私のミスが多く知識が完璧ではなかったからだ。結局受験は算数と国語の2科目の試験で受かり終了したが、鼎で教わった理科と社会は中学校に行った私を助けてくれるだろう。
初めの頃、クラス内ではできる方だった国語も、6年生になってから少しずつ成績が下がっていった。少ししてから新しく込江先生になった。込江先生は1つ1つの問題をすごく丁寧に教えてくれた。早い段階で、私は自分の国語の厳しさがわかった。だから込江先生の授業に人一倍集中した。授業でやった入試問題を「間違い直しノート」に貼り、ポイントを書いて先生に提出し、わからない所は沢山質問をした。その成果が出たのか国語の成績は自分が思っていた以上に上がり、なんとか入試に間に合った。
算数の横田先生も込江先生のように私を最後まで信じてくれた。横田先生は体験授業の時から優しく教えてくれ、私の算数の力はどんどん大きくなった。6年生の後半、私は上のクラスに混ざることが多くなった。その時は成瀬先生と小町屋先生になった。2人とも授業の進みが速く面白く、生徒想いの先生だった。授業が終わって自習をしていると、いつも横田先生が教室に顔を出してくれてとても安心した。横田先生はどんな時でも私を応援し続けてくれた。
このように、すべての先生(もちろん佐藤さんも)が私を支えてくれた。私が合格できたのは先生達が私のために色々と考え、そして応援してくれたからだと思う。約1年半、本当にありがとうございました。
Mさんのお母さまより
「源氏と平氏ってなんだっけ?」6年生のお盆休みの初日、娘からの一言。これで私のやる気スイッチは押されました。
大手塾に馴染めなかった娘が鼎の体験に訪れたのは5年生の6月でした。すぐに気に入り、ここに入りたい!という娘。鼎を紹介してくれた叔母からは「共働きの家庭も多く塾で全てを完結してくれる」と聞いていたので仕事をしている私にとっても転塾は有難いと思いました。
それから娘はよく鼎に通いました。むしろ半分住んでいました。今思えばまだ余裕があった5年生の夏休みの授業がない日や、6年生の唯一の休みの水曜日も鼎に通いました。学校・家から塾まではバスや電車で1時間弱、そんなに使わないだろうと思うくらい教科書やプリントを詰め込んだ重いカバンを持って行っていました。それでも鼎に行きたくないと言うことはありませんでした。帰りは疲れていてもテンションが高く、そんな娘を助手席に乗せて半分眠りながら家に帰り、ソファーで2人でよく寝落ちしました。
一方、時間をかければいいというわけではありません。現に成績がなかなか上がらず私は焦っていきました。中学受験をサポートする親に関する本を何冊も読み、塾で完結という話に甘えて勉強に何も介入していない自分が原因で娘の成績が上がらないのではないか、と自責の念にかられるようになっていきました。そこで冒頭の一言。私のお盆休みはすべて受験勉強に捧げ、娘の勉強の時間管理をしながら、私も理科と社会の教科書を読み込みました。夏休みの宿題で間違えた問題を何度も質問したり、一緒に散歩をしながら年号を覚えたりしました。
そして迎えた6年生の9月。学校も始まり家にいる時間が短くなり、再び親が何もしていない感覚に焦りだしました。まだ頑張れば間に合うかも、とブログや本で紹介されていた問題集をやらせようとしてみたり気持ちだけ必死でした。一方娘の成績は9月10月と右肩下がり。第1志望の合格確率20%…すぐに結果はでない、結果を見て焦らないようにと娘には言っていたものの、私は完全に焦っていました。10月鼎の面談。先生方に私がやらせようとしていた事が今の時期にやるべきことではないこと、鼎でやっている問題演習→復習を繰り返すことで知識が強化されることを改めて聞き、落ち込みました。私が逆に娘の足を引っ張っていたのかもしれない…。そこからは、娘と鼎の先生方を信じよう。私は勉強以外のサポートをすればいい。と心に決めました。娘を迎えに行くまでの時間がとても暇になりました。娘にうるさく言ってしまう時間も減り、不思議と受験結果への執着心が薄れていきました。家での娘は私が思う受験生の姿では無いけれど、彼女なりに学校でも塾でも頑張っている。ここまで来たらどこの学校に入っても、なんなら入れなくでも、母娘共々本当に良い経験ができたのだからいいじゃないか、と思うようになっていきました。私の受験への力が抜け始めた頃から、娘の成績は伸び始めました。
娘は5年生の夏に初めて恵泉の学校説明会に行ってから、ずっと恵泉にあこがれていました。2/1恵泉の試験会場に向かう時に「緊張するけど、恵泉に行けることが嬉しい」「緊張するけど楽しみ」と言っているのを聞いて、もしかしたら大丈夫かもしれないと思いました。午前中の鷗友の試験の時とは違い、恵泉の試験後はやり切ったという充実感が彼女から見えました。2/1の23時に合格発表でしたが、翌日の試験のため早めに就寝、2/2の朝に発表を見ました。「やったー!」という声に号泣、娘の中学受験は終わりました。
鼎での1年半、先生方が本当に娘をよく見て下さいました。娘は下のクラスだったため塾長の成瀬先生には6年生の冬からお世話になりましたが、塾長ありきの鼎の教育方針だと思うと、良い意味で時代に逆行し先生方が体当たりの塾を作って下さったことに感謝しかありません。
見学に行った時の説明は岡本先生。厳しいけれど本質的なことを言われ、受験生本人が自分事として受験に取り組む大切さを感じました。娘の性格を見抜きリスクを的確に指摘して下さるので面談の時のコメントにはいつも緊張しました。
渡邊先生は見た目はもちろんですが、娘は社会が苦手だったので最後まで怖い存在でした。でも受験を通して生き方や物事の取り組み方を熱く語ってしまう私は似ているところがあるのか「家に渡邊先生がいる」とたまに言われていました。
国語に伸び悩み、6年生の秋から国語に力を入れようと母娘共々込江先生に泣きつきました。込江先生が解答の添削や質問に丁寧に対応して下さり、小町谷先生がプリントを下さったりして国語が大きく伸びていきました。
そして横田先生。「横田先生がいなかったら中学受験をやめている」と娘が言うほど一番の力になって下さいました。私もなにか不安なことがあるとすぐに横田先生に話を聞いていただき大変お世話になりました。どんな時も娘の力を信じてくれて、たまに本心で言っているのか不安になり顔をうかがっても先生は真剣に話して下っているし、多くの受験生を見ている横田先生がそう言うなら本当に大丈夫なのかもと何度も励まされました。「受験が終わって横田先生に会えなくなるのが寂しい」と言うくらい、このような先生に出会えて娘は本当に幸せだなと思いました。
長くなりましたが、一人暴走し空回りした親の失敗談を合格体験記として書きました。娘はもちろん私もこの受験生活で本当に沢山のことを学びました。この経験ができたのもいつも真剣に子供たちに向き合って下さった鼎の先生方がいたからです。本当にありがとうございました。