• line
  • facebook
  • instagram
  • youtube

2025年度 合格体験記

Kさんより 成蹊中学校進学

2月1日、驚くほど緊張していなかった。私の第一志望校は成蹊中学校。
私の知識不足のおかげで間違ったところもあった。でもなにより大切な「やりきること」ができた。2月2日、結果発表の時、私は別の学校を受験していた。
家族には、ぜったい先に結果を見ないでほしいとお願いしていた。
私が書いた文字で6年間が決まるんだ。そんな当たり前のことに気がついた。
ポチッ。結果を見るのボタンを押した。

私は6年生の夏に鼎に入った。最初はとにかく皆より遅く鼎に入った不安と後悔で、頭がうめつくされていた。皆より成績が悪かったため、とくに。
でもそこで救いだったのが、鼎には「やること」があることだった。
私は、5年生の11月に受験することを決め、冬から鼎とは別の塾に通っていた。でもその塾は「やること」を自分で探し、決め、毎回実施しなければいけなかった。
とても簡単に思えるが、私にとってはとてもむずかしかった。そして正直に言えば、中学受験を甘く見て、真面目にとりくんでいなかったように思う。そこからなんとかぬけ出したくて鼎に入って「やること」に取り組んでいた。
最初に結果がでないのはあたりまえ。結果は出なかったが、毎日の鼎での授業は楽しくて、勉強が嫌だとは1度も思わなかった。
そうしていると少しずつだが成績が上がっていって安心したように思う。でもそこからだった。夏期講習が終わってからなかなか成績が伸びず、なにがダメなのかもよくわからなかった。いつもの勉強以外のことを取り入れてみたが続かなかった。その時、よくわかった。いつもの「やること」が大切なんだと。
それからは「やること」にしっかりと取り組むようにした。
12月。あと2ヶ月。といっても、1月の埼玉受験があるため時間がなかった。成績があまり変わっていないのが現状だった。
心配になって、お母さんが先生と話に行ってくれた。
その時の報告の中に、「1月受験の後も成績が伸びるんだって」という言葉があった。
私はその言葉を半信半疑で聞いていた。それはただのなぐさめなんだろうと思っていたから。でもそれは本当だった。1月受験の後の2週間は、自分の現状を知り、向き合って、受験生活のなかでいちばん充実した2週間だった。
その中で変わったのが、勉強を頭のどこかで「苦手」と決めつけなくなったことだ。もしかすると本当に苦手かもしれない。でも苦手と言っちゃ始まらない。「苦手」のかわりに「自分はできる」ということを決めつけて、本番にのぞんだ。

合格

鼎に入れてよかった。そして鼎に入らせてくれた先生方、家族に感謝だった。
途中の途中からでも1人の生徒としてあつかってくれた先生方には「ありがとう」という言葉しかないし、家族にも「ありがとう」だ。
これからは「やること」を自分で見つけようと思う。

Kさんのお母さまより

本日2月2日。第一志望の中学校より合格をいただくことができました。
娘は、何度もなんども、「おめでとうございます」と表示されたwebページを見返しています。この日を迎えられたのは鼎のおかげに他なりません。
先生から、「ぜひ体験記を」とお声かけいただきました。何より鼎への感謝と、鼎のよさを少しでも他の方に伝えたいと、お引き受けしました。

鼎は、令和のこの時代に、ちょっと変わった塾です。
・髪型がモヒカンの先生がいる。
・皆さん私服(ほかに経験した塾はスーツでしたので)。
・お楽しみイベントがある(6年夏休みはアロハシャツを着てアイスを食べ、クリスマスにはサンタの仮装でケーキを食べる)。
・ダメなら容赦無く叱られ、「そんなんじゃ落ちる」の禁句もバンバン飛び交う(娘の言)。
大手塾の、生徒・保護者をお客様扱いするような雰囲気は、ありません。
いっぽうあるのは、面倒見のよさ。鼎の先生には、相当な「覚悟」がおありだと思います。とことん「子どもの受験生活につきあう」という覚悟です。
―――
我が家の次女が中学受験をすると決めたのは、5年生の10月でした。
遅きに失した感のあるその時期に、集団塾に入る勇気も学力もなく、娘は個別指導塾で受験勉強を開始しました。
ダンスに新体操にチアにと、毎日飛び回っていた娘が、何時間も机に向かう。

「頑張れば大丈夫。頑張っているから大丈夫」

つい口をついて出てしまう母の言葉は、今思えば、とても無責任でした。
受験では、「ふさわしい解答法の紐を迷いなく選び、正解を手繰り寄せる。より多くの紐を、整理整頓して、しかも短期間に頭に詰め込む」ことが必要なのに、当初娘の勉強は、どこにもつながらない短い紐をぐちゃぐちゃに詰め込むかのごとく。いくら頑張っても、ひとつも知識を使えるようにはなりませんでした。まったく、「大丈夫」ではなかったのです。
それをいちばん理解していたのは、娘本人でした。
6年生の春、「自分は頑張っていない。宿題をこなしているだけ。こんなんで受かるわけがない。もう受験はしない」と言い出しました。
受験を決めたのは娘。
その娘がやめたいと言うならやめさせればいいという思い。
いっぽうで、「水は低い方へ流れる。うまくいかないからすぐ諦めるという経験を、容易にさせてはいけないのではないか」という迷い。
答えは出ず、毎日のように娘と無言の押し問答をしていたように思います。

その状況を変えてくださったのが、鼎でした。
思い切って叩いた鼎の扉。6年生7月の転塾。しかも初めての集団塾。普通なら家族としてもかなりの冒険、塾としても、他のお子さんへの影響や合格実績などに鑑み、いい顔をされない時期だと思います。
ところが鼎の先生は、その時点で無謀すぎる志望校をお伝えしても顔色ひとつ変えず、「とにかく来てみて」と受けて入れてくださいました。
そして体験初日、娘は「鼎に入りたい!」と即断。
はじめて、塾での勉強が楽しかったと言いました。
すぐにクラスの女の子が声をかけてくださって仲良くなれたこと。授業や子どもと先生のやりとりが面白かったこと。学校のクラスのようだったこと。鼎は勉強の「やり方」を教えてくれること。娘は珍しく興奮気味に教えてくれました。
個別指導塾で大学生の先生と1対1で勉強していたときの心細さや、浮き輪なしで大海に放り出されたような不安が吹き飛んだ。そんな様子でした。

鼎に入ったことでようやく、受験する資格を得ました。
それから7ヶ月間は、受験指導のプロである先生方に全面的にお任せ。

娘は、母が「○○を勉強したらいいんじゃない? 〇〇はやったの?」などと聞こうものなら、静かに密かに大反発、話さなくなるところがあります。
おそらく鼎での授業中も、反応が薄くて何を考えているかわからない、「女子」ならではのクールな言動をとっていたのでは。先生方はさぞやりづらかったろうと思います。それでも短期間で娘に変化が見えたのは、経験豊富な鼎の先生方のアプローチのおかげ。そして鼎が「楽しかった」からだと思います。
6年生秋以降は、文字通りほぼ毎日鼎生活。申し訳ないほどのお任せっぷりでした(コマ数の増加とともに受講料が増える他塾の料金形態とは異なり、どれだけ行ってもお月謝制なのは大変ありがたいことでした)。

いっぽうで、私たち家族ができることといえば、健康管理くらい。
ところがこれが、予想以上に大変でした。
マイコプラズマ肺炎に胃腸炎、風邪、突然の動悸、腹痛に頭痛…。体の弱い子ではないのに、秋以降、体調不良を連発しました。
勉強のストレス、激減した運動量と睡眠量。原因はいくらでも考えられますが、どれも受験する以上、容易に改善できません。
心と体は一体といいます。体調を崩すと、勉強がストップするだけでなく、メンタルがやられます。回復したはずなのに、「文字を読むと気持ちが悪くなる」と言われたときには、「このまま勉強に戻れず、受験を諦めざるを得ないのではないか」と血の気が引く思いでした。娘の体調管理ができなかった私のせいで、この子の中学生活が違ったものになってしまうのではないか。
実際には一過性の症状でしたが、正直、うろたえました。
でも考えれば、娘は12年の人生で、全く初めての経験をしている。しんどくて当たり前。普段と様子が違って当たり前。心も体も、それを伝えるために必死にシグナルを出しているのだ。そう思い、大きく構えられるようになったのは、1月受験も終わった頃です。
「何かあればいつでもお電話ください」
最後まで、私が不安になってお電話で相談するたび、電話の最後に、Y先生がおっしゃってくださるこの一言は、非常に効きました。ありがとうございます。
4教科のご担当者全員がコメントをくださる面談も、ありがたかったです。
迷いや焦り、そして安堵を繰り返しながらも、鼎にいたからこそ、娘と家族は、着実に受験に向かう準備を進めていけたと思います。

1月31日の「壮行会」。
娘はサンタクロースのように、パンパンに膨らんだ、見慣れぬ袋を手に、興奮気味に帰宅しました。袋には、お菓子やホッカイロやメッセージがぎっしり。
鼎を巣立った卒業生たちが応援にかけつけてくださり、体験を話してお菓子などをくださったのだと。ナーバスになる本番前日を、塾で、仲間と皆で、ワイワイ過ごさせてくださるというご配慮。ソファに袋の中身を全て出し、きれいに並べて写真を撮り、一部を翌日のおやつ袋に詰めました。まるで遠足前日。
2月1日の本命受験日。先生方は早朝から塾を開け、計算問題などで頭をつかってから会場へ向かえるようにしてくださいました。午後に別の試験も受けて夕刻、鼎に「帰宅」。自己採点と振り返り、翌日の試験に備えました。
そして2月2日。午前、受験のない子どもは娘だけ。たった1人でも塾をあけてくださったことに感謝です。午後、別校の試験を18時に終えた娘は、すでに発表されている成蹊中学の合否を母のスマホで確認したいのを我慢し、自宅へ。家族そろった場でサイトを開きました。合格。うれしすぎて、駆け出したい気持ちで、すぐに鼎へ向かいました。

それにしても先生たちは、受験期、いつ寝ていたのでしょうか・・・? 
本当に感謝しています。

最後に。
私共が安心して鼎の門を叩けたのは、信頼できる事前情報があったからです。
6歳年上の長女の親友、そしてそのお兄様が、鼎で中学受験を経験され、充実した中・高時代を過ごしていました。お2人から、「鼎はほんとうに楽しかった」と何度も聞いていた長女は、ことあるごとに「あの2人がいいと言う塾。ぜったい大丈夫!」と、妹を鼓舞していました。
あくまで私ども家族の感想にほかなりませんが、これから受験に向かわれるご家族にとって、この体験記が、少しでも「事前情報」として役立つものであればと願っています。

2025年度の他の合格体験記