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2025年度 合格体験記

Nくんより 桐光学園中学校進学

僕は3年の2月から鼎に入りました。最初の頃は、自分の考え方で進めてしまい、よく叱られていました。もともと算数は得意でしたが、算数以外の科目はなかなか成績が伸びませんでした。6年になると授業が5年より厳しくなりました。僕は国語と理科が苦手で、特に理科は植物の仕組みが苦手でした。算数がクラストップでも、それ以外は最下位の時がしばしばありました。
もうだめ、逃げたい、やめたい、という思いがほとんどになってきた10月、変化がありました。猛勉強した夏の成果が出始めたのです。先生から行く学校がないと言われてきましたが、希望が見えてきました。またこの頃は学校から帰ると10分間、動画を見ながらおやつを食べて、その後20分くらい寝てから鼎に行きました。
そしてとうとう1月に入りました。まず城北埼玉を受け、特待で合格をもらうことができましたが、開智所沢と立教新座は不合格でした。そして1月31日。この日は壮行会でしたが、受験前日の状況で緊張の方が強かったです。
いよいよ2月1日。僕は午前に桐光、午後に都市大を受けましたが、両校不合格。しかし、ここでリベンジしたい気持ちが強くなり、2月2日にもう一度、桐光を受けました。試験が終わると手応えを感じ、鼎に行くと、渡邊先生に「これは合格だ!」と言われ、その夜合格発表ページをクリックすると、桃色のページが開かれていました。この桃色のページに書かれた「合格」の文字を見た瞬間、家族みんなで飛び跳ねて喜びました。その後のチャレンジ校の都市大は全て不合格でしたが、自分の偏差値より10も上の学校に入ることができ、とても満足です。この受験を通して逃げたい時もありましたが、先生が最後まで一生懸命に教えてくれたおかげで合格できました。先生方、本当にありがとうございました。

Nくんのお父さまより

息子は3年生の2月より鼎進学教室(鼎)にお世話になりました。厳しい受験戦争についていけるのか、小学生の後半3年間の時間を勉強に費やすのが本当に良いのか、中学は公立で高校・大学とスポーツでの進学だった私には判断出来ませんでしたが、受験をして中高と私立だった妻の強い意向で息子の中学受験を決めました。
同級生より精神年齢が幼く、勉強が好きでもない息子はこだわりが多く、学校でも個性的な存在でした。そんな息子は物心ついた頃から何よりも鉄道が大好きで、ならば鉄道研究部(鉄研)がある中高一貫、大学附属校を目指すべきだということになり、息子も賛成で、塾探しから始まりました。大手塾の説明も何回か受けた妻は、鼎を訪れた時、理想に描いていた塾とピッタリで「ここだ!」と感じたものがあったようです。
入塾後先生にアドバイスを頂き、親子で各校の文化祭に上位校から中堅そして確実に受かる学校まで、小4から小6までに20校近く積極的に足を運びました。息子の関心は鉄研一点。どこの学校でも鉄研の教室に1時間以上滞在する程でした。私たちは鉄研が盛んで、校風が比較的自由な学校に行かせたいと考え、早い段階から第一志望は桐朋、そして立教新座、東京都市大附属、成城、桐光学園などを候補にしていました。
しかし肝心の成績はなかなか伸びず、毎月の組分けテストの偏差値は30台後半から40台前半。得意科目の算数だけは50を超えることもありましたが、国、理、社はどれかが良くてもどれかがダメなど、散々な成績が続きました。それでも6年生の夏以降になると、科目によって少し希望が持てるような偏差値が出るようになりましたが、4教科そろって納得出来る偏差値に届くことはなく、成績が伸び悩んだまま新年が明けてしまいました。
1月10日から始まった埼玉受験では、城北埼玉の一般と特待で合格をもらうことができたものの、開智所沢では3回続けて不合格。チャレンジ校である立教新座も不合格と埼玉受験では2勝4敗。この結果から「2月1日は第一志望の桐朋ではなく、合格できそうな桐光学園をまず受けた方が良い。」というアドバイスを受け、1日に桐光学園で合格をもらい、2日に桐朋を受ける(1日に桐光が不合格の場合は2日、3日と受かるまで受験する)プランに変更しました。1月も中旬になっての第一志望校の変更は親子共に大変ショックでしたが、4教科どれもが桐朋の合格水準にまで達したことがなかったため、今思えば当然と言えば当然でした。
そして2月1日を迎え、午前は桐光学園、午後にチャレンジ校の東京都市大附属を受験。息子は手応えがあったのか「両校共に自信がある!」と言っていたにも関わらず、結果は両校不合格。これで桐朋は諦め、2月2日も桐光学園を受けることになりました。2校目の不合格通知を見た時、家族全員言葉を失い、淡々と翌日の準備に取り掛かりました。そんな中でも息子は、「明日は絶対に受かる!」と気持ちを切り替えていました。私たちは息子の前では前向きな態度を取っていましたが、不合格の結果から何とも言えない、暗い気持ちになっていました。今思うと、2月1日の不合格の通知から2日目の午前中は夫婦共に心境としては最も苦しい時間でした。そんな中、2月2日はテスト問題との相性が良かったのか、息子は試験後、妻に会うやいなや、「前日と比べて全教科良くできたよ!」と手応えを感じていたようでした。が、ある意味不合格に慣れてしまっていた私達は懐疑的に捉えていました。しかし塾での答え合わせで、前日比、社会で50点、全教科で70点以上の上乗せができ、先生からも合格の見解を頂きました。 
そして合格発表の午後9時、期待半分不安半分で息子がパソコンをクリックすると、合格の文字が!家族3人で抱き合って喜び、一生忘れられない瞬間になりました。 
その後、2月3日、5日と東京都市大附属を受けましたが、厳しい受験となり両日共不合格。通算成績は3勝8敗と大きく負け越しとなりましたが、息子もやり切った受験で終わることができました。12月の最後の模試で各教科の偏差値が揃わず、桐光学園の合格率が20%だった息子が、最後の最後で全教科合格水準に達したのは、奇跡的と感じます。一方で受験は偏差値だけでは測れず、いかに志望校の受験に向けての対策が重要か、を知ることになりました。
最後まで諦めず、不合格でもめげずに気持ちを切り替え「明日は頑張る!」と前を向き続けた息子の頑張りと、メンタルの強さ、そして長い期間辛抱強くサポートしてくれた妻を誇りに思います。
12歳の息子の人生はまだまだこれからですが、この3年間、鼎で学ばせて頂き受験を乗り切ったという経験は、かけがえのない財産となり、後々に必ず役立つと信じています。そして4月からは勉強だけでなく、大好きな鉄研を満喫し、充実した学園生活を送って欲しいものです。
ローラーコースターに乗っているような最後の1ヶ月間でしたが、このような形で無事に希望の学校から合格をいただけたのは、息子と正面から向き合って下さった鼎の先生方の日々の細かい指導と叱咤激励のおかげです。長い間大変お世話になり、本当にありがとうございました。

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