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2025年度 合格体験記

Aくんより 桐朋中学校進学

僕は、3年生から入塾し、4年間通塾していました。もともと国語はある程度できたのですが、算・理・社は全然できず、クラスでも最下位に近く、特に算数は不安をずっとかかえたままの日々でした。

5年生になったとき、算数が成瀬先生に変わり、復習ノートを本格的に作るようになりました。しかし復習ノートに熱中しすぎて宿題に手が回らずクラスに迷惑をかけたこともありました。さらに一番熱心にとりくんでいた復習ノートも「解説を写しているだけで自分の未来につながらない」と成瀬先生に言われて、宿題に手を回すために禁止になったこともありました。理社は5年生の頃は危機感を感じておらず、その時の努力不足・勉強不足にのちに僕が最も苦しむとは知りませんでした。

6年生になった時、一つ上の代の先輩の勉強への、自分への向き合い方について成瀬先生が話してくれ、すごく胸を動かされました。なぜなら自分とは全てが違ったからです。自分は、「まだ6年生になったばっかだから言うても余裕っしょ!!」と考えていたのですごく大きな衝撃を受けました。本当に同じ学年だったのかを疑うくらい、根本的に精神年齢が違いました。そして向かえた第一回サピックスオープンで早稲田と武蔵を受けたのですが、慣れない雰囲気と圧倒的な実力不足で、武蔵野算数が0点で、やっとそこから、本当にヤバイと思った、というより「落ちる」と言うことを真剣に考えるようになりました。そして唯一頼りにしていた国語も思うようにいかず、本当に今の自分はダメなヤツなんだということを実感しました。その後の合不合では国語は安定していたものの理社が不安定で、算数は…正直2月1日には間に合わないのかもしれないと思うようになりました。自分の四科の点のとり方は国語でブチ抜いて、算理社で転ばないようにするというものすごく偏ったものでした。そして第二回のサピオープンは早稲田の算数が0点で11月23日だったので、「あれ? これ本当にやばくね?」と不安になり、今までの自分の勉強不足さを悔やみました。でも、それでも復習ノートだけは絶やさずやろうと決めていました。その甲斐あって、1月10日の開智所沢で白星をとることができたのですが、翌日の算数特待では、読み間違いをしてしまい、あと一問というところで落ちてしまい本番の厳しさを痛感しました。そして、1月25日の立教新座で、本気で白星をとるつもりで行ったのですが、国語含めて全教科が微妙な点数で終わってしまい、これといった手ごたえを感じずに本番の一週間前が過ぎていきました。実際になれば分かりますが、最後の一週間はほぼ桐朋しかやらず、国語は割と点がとれており、算数はやり方を書く欄が設けられているので、そこをしっかりと埋めることを意識していました。桐朋志望なら成瀬先生から「差を見ろ」を言われ続けるのですが、自分はなかなか差に着目することができず、苦戦していました。社会は平均が42/60と7割なので、知識が周りよりない分は記述で埋めようとしていたのですがそう甘くもなく、結局は一週間でつめこむことになりました。理科は生物の観察が苦手で、そこを集中してやると力・科学のふみこんだ問題を解くことができないということが課題でした。本番の朝は、愛飲していた『Red bull』(レッドブル、エナジードリンクってヤツ)飲まずに、(なぜなら新座の前に飲んで体調を崩したから)鼎に来ました。桐朋まで3人で徒歩で行ったのですが、その間にだいぶ緊張がほぐれました。前半の国算の調子が練習でもないくらい好調で、社会もやりきったと思えたのですが最後の理科で時間が無くなり、焦りました。普段よりも力を出し切ることを意識して、がんばってください!!

Aくんのお母さまより

我が家は兄弟で鼎にお世話になりました。
入塾テストがない事、成績だけ見てクラスや席を変えたりしない、これが入塾を決めた理由でした。
鼎進学教室のHP『私たちが考えること』を読みましたが、何やら凄い熱量を感じるものの抽象的で当時はピンと来ていませんでした・・・長男入塾から5年。いまこの体験記を書くにあたってもう一度読み返すと『あ〜、ここに全部書いてあるじゃない!』と笑ってしまったくらい良く分かります。

鼎では、テストが終わると問題用紙(=解き跡)を提出します。先生方は、余白部分の使い方や字の大きさに始まり、どう理解してどう手を動かしてどこまで到達していたのか、全く方向性から間違っているのか、選択肢をどう分析して読み混んだのかをすべて確認してくれます。集団塾でありながら、一人ひとりの成長、躓きを把握され、面談ではそれをもとに各科目の先生から具体的なアドバイスが来ます。直接本人へも伝えてくれます。子供達は先生の言葉を頼りに進み、先生と約束し、時に叱られ、時に驚くほど嬉しい言葉をかけられる。この鼎マジックにかかると、子供達は自ら塾に向かうようになり、学友達と共に『鼎生』になっていきます。鼎生になりきるまでは少し大変、でも鼎生になると少しずつ親離れの始まりです。

先生からの言葉

(長男編)
『〇〇の円が一番上手だね』これは土曜講座の算数、フリーハンドで図形を描く課題。初成瀬先生の授業で緊張していたところ、意外にも褒められた!と嬉しそうに報告した言葉。
『復習ノート、やってくる問題数は少ないけど内容は物凄い緻密ですよ。』長男の面談で言われた言葉。
『お前はちゃんと自分の戦い方をした。』算数が苦手で苦しんだ長男。得意の社会と受験校と相性の良かった国語で得点を伸ばし、第一志望合格後に成瀬先生からかけられた言葉。今までで一番うれしかったと当時話していました。

(次男編)
『授業をよく聞いてリアクションもいい。算数大変だからね、社会に時間取れない中でもよく頑張っている。』
5年の面談で渡辺先生からの言葉。勉強時間の配分を考慮して下さり、聞いて残る授業をしてくれました。
『アイツ、気持ちのいい男になってきましたよ。』6年の秋の面談で、岡本先生から言われた言葉。できない自分を認めて努力できるようになってきた、と。精神的な成長まで親より先に気づいている先生。
『アイツ、知識は抜けているけど読解力で解いちゃう。もっと知識の隙間を埋めればさらに取れる。』6年後半の面談で他塾模試結果をみながら渡辺先生。解き跡分析が半端ない。
『手間のかけ方は磨かれてきて、ますます解決力は高まっている。主観の暴走に気を付けて、目の前の情報を素直に客観的に受け入れることが大事』6年秋の面談、小町谷先生からの資料にかかれた言葉。息子はこのメッセージをずっと考えていたそうで、冬期講習の頃にふと『今日渡辺先生から記述の最後の部分が蛇足だといわれた。もしかするとこれまで小町谷先生からいわれてきた主観の暴走だったのかもしれない。ようやく意味が分かったかも。』と話していました。親としては、小学生がこんな難しい事を考えて過ごしているのが驚きであり、鼎のいう『自分で考え解決していく力』がついてきたのを実感。
そして成瀬先生。『お前、頭以外はすっげーいい奴!一緒に飲みに行きたい!』本番直前に成瀬先生からの最大の誉め言葉!?をもらい、本人が自慢気に報告。本番の緊張をほぐそうとしてくれたのかは不明ですが(笑)、前夜も我が家では笑いが巻き起こっていました。
そして第一志望の桐朋合格。本人は真っ先に鼎に報告。電話口で成瀬先生から『アイツ、カッコよかったですよ〜。時々泣くんですよ、泣くけど泣き言はいわないんですよ。ホントによくやり切った!』歓喜の中成瀬先生から頂いた言葉でした。親には見せない気持ちを先生たちに受け止めて貰っていたのだなと感じました。
良かった事ばかり書きましたが、鼎のHPでは分からない部分を最後に少し。
鼎では授業延長に居残り復習が当たり前。帰りはきっとどこの塾よりも遅いと思います。それでも授業の後は一番集中できるから、と本人希望でその生活が続きました。当然ですが慢性的な睡眠不足、学校や塾への行き渋りや遅刻、一通り経験しました。授業と授業の合間の食事は、身体が受け付けないこともありました。
子供のからだと心の健康状態をみて、時には学校を休んで休息させるなど割り切りも必要でした。学校の先生とも面談を重ね、本人の生活サイクルや心理的状況などすべて情報共有して相談しながら進めました。長男、次男でストレスの表現は違い、気持ちの切り替え手段も違っていました。受験生の親であればきっと、周りの芝は青く見え、カメの歩みのわが子をみて焦り、今できることを少しでもと欲張った要求をしてしまう事があると思います。ですが冷静になればまだ小学生。これからさらに成長が続く彼らを、『今の精一杯を頑張っているんだな』と、親はいつでも余裕な振りしながら見守ってやれたらいいのかもしれません。
我が家の兄弟は『鼎生』となり、この受験を通して上手に親離れを始めましたが、果たして鼎離れはできるかな?こんなに真剣に向き合ってくれる大人達に、進学先の学校でも出会って欲しいなと切に願う両親です。

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