Bくんより 桐朋中学校進学
僕は3年生の夏に鼎に入塾しました。まだその時は中学受験をよく知らないで勉強をしていました。ある日友達に「どこの学校に行きたいの?」と聞かれ、しばらく考えた後「桐朋」と言いました。なんとなく決めた学校だけれども、様々なイベントに行くにつれ本当に桐朋のことが好きになっていました。3年生の頃は本当に勉強が楽しくてなんとなく遊び感覚で勉強をしていました。
4,5年生になっていくと先生方に「雑」と言われる回数が多くなっていました。僕は具体的にどんなところが雑なのかその時はわかっていませんでした。先生にひどく怒られた日は母に相談したりもしていました。又、自分の勉強のやり方への限界を一番感じている時期でした。
5年生の中盤からは、成瀬先生が算数の担当となって僕の雑なところを具体的に教えてくれました。「式は縦に並べろ。」など具体的に言われ僕も少しずつ直していきました。そこで初めて「1つ1つ丁寧にやる」という作業を教わり、僕の能力の限界を高めてくれました。
6年生になり、僕は1つ1つ丁寧にこなすようになれていました。春、夏と力をつけている実感があり、モチベーションが上がっていました。そしてついに秋から志望校ごとにクラスが分かれ、桐朋を受ける実感が強まっていました。僕はいつでもどんな時でも言われたことをやるという土台の上に立ち頑張りました。国算理社それぞれでやることは違ったけれど、前よりも確実に安定している実感がありました。
冬、いよいよ1月。入試本番が開始しました。1月試験終盤の1月25日。立教新座の試験を受けました。僕は合格をもらったけれど、課題はありました。「まだまだ丁寧ではない。」特に算数でその気持ちが高まっていました。そこからの一週間は心の中でその気持ちがあふれていました。「結果的に残念な結果になっても、悔いのない受験にしたい。」そんな中で訪れた2月1日。僕は当日とてつもない恐怖と不安に襲われていました。熱い気持ちが嘘のように冷たい気持ちになっていました。鼎に行ってもその不安は消えませんでした。鼎から出て、みんなで桐朋に行きました。みんなの前では強がっていたけれど、不安でいっぱいでした。席に着いたとたん僕はとりあえず復習ノートを見ました。そこには「同じものを見つける」「記号を内側にふる」そして「式を縦に並べる」と書いてありました。僕は安心しました。不安が一気に取れました。緊張と不安が完全に取れ、試験が始まりました。落ち着いて、いつも通りに解けましたが、いつも通りミスをした実感もありました。午前・午後入試が終わり鼎に帰ろうとしていました。解けない問題やミスをした実感により早く鼎に帰りたくて走っていました。自己採点の結果はくだらないところで10点を落とすという結果でした。成瀬先生からは「明日がある。」と言われました。でも僕は1日をあきらめていませんでした。それは自分でも「1つ1つやり切った」という思いの表れでした。熱い思いの中出た結果は合格。僕は喜びました。1つ1つやり切ることの大切さが一番分かった瞬間でしたが、「鼎を信じてよかった」という気持ちが大きかったです。僕にアドバイスをして、合格に導いてくれた鼎の先生方、3年半本当にありがとうございました。
Bくんのお母さまより
合格の文字を確認し、「鼎の先生方を信じてきてよかった」私も息子も心から感じた瞬間でした。
3歳年上の長女が3年生からお世話になっていました。息子も低学年の頃から半年に一度、四谷の統一テストを受け鼎の先生の授業を受けることを楽しみにしていました。3年生の夏期講習を受講し、迎えに行くときらきらした笑顔を見せてくれたのを覚えています。その頃から桐朋の存在を知りなんとなく志望校とし始め受験する宣言をした息子(後からわかったことですが中学受験は全員がするものだと思っていた)。
4年生になると1週間の学習サイクルがきつく感じるようになり次第に苦しそうな様子を見せ心配になることもありました。岡本先生にご相談すると「いつまでもきらきらだったらこわいよ」と。たしかに、そんなものかと笑ってわり切り、1週間の家庭での学習サイクル表に従って課題ができるよう毎日コツコツできる限りの声かけをしました。
通塾、家庭学習ともに比較的順調に進んでおり、このまま問題なく受験生となっていくと信じ切っていた5年生の夏前でした…塾辞める宣言。仕事中に来るLINEでの連絡は「今日は塾無理」としばらく続き、あきらめて好きにさせたり何とか送っていったり。話し合った結果、きっかけはいくつかありましたが、一番の理由は「鼎はお姉ちゃんの為に選んだ塾であって自分には他に行くべき塾があるかもしれない」との主張でした(なるほどそこに気づいたかとも思いました)。そんな状況の中、一緒に頑張っているお友達や先生方が自分の為に親身になって下さる姿をみて、改めて、今度は自分で選んで鼎に通うと決めたようでした。ここから気持ちの面でも徐々に成長していったように思います。とはいえ5年生は先の見えないトンネルのようで、とにかく大きな期待はせずに「5年生時代を無事乗り越える」を目標にすごしました。通塾が平日週3回で家庭でのサイクルもつかみやすくなっていた為、家庭学習の声かけを減らしていき、必要かどうかを本人に確認しつつ手を放していきました。
6年生、いよいよ受験生となり、成績の上り下がりに不安になることもありましたが本人のペースにまかせ余計な口出しをしないようにしようと決めていました。夏期講習に入っても家では通常モード(自由時間たっぷりキープ)でしたが2学期で合不合の成績が落ちた際には流石の息子も少しあせり、学校の友達と遊ぶ日と決めていた水曜は自習で塾に行くと宣言し土日の授業を含め毎日鼎の生活が始まったのです。
結局、1月の埼玉入試開始後もよく聞く話のように目の色が変わったとか、わかりやすくやる気に火がついたということのない息子でしたが、家での姿と塾での姿は違うのであろうと信じ、頑張っている姿をイメージするようにして見守りました。家ではいつものようにくつろぐことによってバランスがとれて塾での学習に集中してほしいと思っていましたので睡眠時間の確保以外では口出ししないようにぐっとこらえました。
最後まではっきりと決まらなかった併願プランですが成瀬先生と息子との話し合いで本人の気持ちをご理解いただき、やりたいようにさせて下さったこと大変感謝しています。
2/1、先生方に見守られながら桐朋に向け出発、午後入試を終えて国立に戻ると早く塾に行きたいと走っていきました。帰宅後「今日はくだらないミスで10点落とした、でもまだ明日があるからがんばる」と。おそらく不安でいっぱいだった息子ですが鼎の先生の言葉で堂々とした受験生に変えて下さったのだと思いました。結果発表前のそわそわした様子からもしかしたらの期待をこめつつ、クリックするとそこに合格の文字があったのです。
鼎の先生方、娘の受験から約7年間にわたり大変お世話になりました。時には厳しく、決してあきらめずあたたかい心で接して下さいました。子どもにとって鼎で学び努力した日々や本当に自分のことを思って寄り添って下さる先生方の存在が今後の人生の糧となると思います。本当にありがとうございました。