Cくんより 海城中学校進学
「ここ(鼎)、中学受験用の塾なんですよ…。」それが初めて鼎に足を踏み入れ(3年生の全国統一小学生テスト)入塾を希望したときに聞いた第一声だった。
母と一緒に鼎の先生から聞いた第一声はあまりの成績の悪さによるもの。最初の組み分けは超低成績、にも関わらず何の危機感も抱かずに5年になり、6年になり、5年の後半から社会で多少やる気は出すがそれ以外は相変わらず。国語は小町谷先生が担任になってから改善。
しかし11月半ばの面談、自分も同席すると理科がひどい言われ様。続いて12月頃の面談でも何も変わらなかった。しかしクリスマスのあたりから理科の復習を始め最後の1週間でもクラスの人達のお陰で改善。算数はとれる問題をおとし、習ったことを使わず時間がかかった挙げ句間違える。
どの問題を解いてもそんな感じ。人として低レベルで話の聞き方も悪く、分からなくなったらすぐ適当に相槌を打ってきたことに天罰が下ったのだとしか考えられない。1月受験では栄東○で調子に乗り他の人と喋り自由時間をもてあましてしまう。立教新座は算数で2問凡ミス。しかし他の教科でカバーして合格。
そして迎えた2月1日、短時間かつ大して手が動かない幸先の悪いスタートで試験中もダメダメだった。(悪い意味で)いつも通りの手応え。鼎で見て、次々と発覚する凡ミス。もう2日、3日で頑張る決心は固かった。
城北の試験日、塾では前日より早く来、手を前より動かして出陣。すると国語で内容が掴めず理科は手も足も出ず崩壊。希望を失った。しかし奇跡といっても過言ではないことが起きた。父の口から「海城合格」の言葉が聞こえたのだった。算数多数、理科3問、社会2問もミスをしたのに。不思議な気持ちになった。それと同時に終始この愚か者を変えてくれた塾の先生達、出来損ないの息子を精神的に支え当日まで応援を続けた両親への感謝の気持ちでいっぱいになっていた。
Cくんのお父さまより
受験二日目の帰り道、初日に受験した海城中学の合格発表の結果を伝えると、「よしっ!よしっ!」と拳を握りしめ、顔を紅潮させて喜んだ息子の横顔はとても眩しく、私自身にとっても、かけがえの無い思い出になりました。
いまから約4年前に海外から帰国した頃、様々な環境の変化から、日本での生活・学校にもなかなか馴染めず、息子をはじめ家族共々、鬱屈とした時期を過ごしていた中で、小学四年生になった息子を塾に通わせようかと考えたのも、最初は「何となく」という感覚で、中学受験に臨む姿勢も曖昧なものでした。
鼎進学教室に入塾を決めたのは、試しに通わせた3年生の夏期講習から帰った息子が母親に「夢みたいな場所だった、あそこに行きたい!」と、これまでどうしてもこれをやりたい、といった主張の無かった息子の口から珍しく、強い希望を聞かされたことが決め手でした。
しかしながら、そうは言っても入塾時点の偏差値は30台(社会の偏差値は20台?)。帰国子女にとって、多少なりとも日本語や学習カリキュラムのハンディキャップも有り、またそもそも何事においても人一倍時間と努力が必要な本人の性質も踏まえると、受験なんて出来るのかな?とはいえ、何もせずに小学校の時間を過ごすよりは、マイペースでも勉強を続ければ、きっと何かプラスになるだろうと、そんな感覚の両親と息子の受験が始まりました。 4年生の間はそういった感覚の延長で過ごした様に思いますが、元々の成績が「伸びシロしか無い」状態だったので、本人の頑張りで(途中から親も最低限のサポートは行い)、緩やかに成績が上向き、偏差値も30台、40台から漸く50に届くところまで来ると、本人もだんだん勉強が面白くなって来た様でした。
5年生になると、勉強量もぐっと増え、テキストの難易度も高くなり、塾の勉強に付いて行くのが大変そうでしたが、本人が「1組のクラスに入って、○○先生の授業をどうしても受けたい」「○○君と一緒のクラスで勉強したい」と言うので、いくつかの教科の宿題(予習)に付き合う様になりました。この辺りから、塾に通う時間も長くなり、気持ちや心構えも受験生らしくなって行きました。
第一志望の海城中学との出会いもこの頃で、学園祭に訪れたときの印象として、私学の充実した施設や立派な学園祭を運営する中高生の先輩達の様子に大いに刺激を受けた様で、ここを目指して勉強するという本人の気持ちが固まりました。 (とはいえ、偏差値は漸く50台半ば。。まだまだ努力が必要でした。
6年生になると、連日連夜の塾通いが始まりました(大部分は塾での学習、親は基礎の抜け・漏れをフォローする程度。本人は朝から晩まで塾におり(自習も含め)、家族や学校よりも、塾での時間を最優先。厳しくも優しい叱責を先生方から日々頂きながら、他の塾生たちと悪戦苦闘しつつも勉強に励んだ濃密な時間は、息子にとってかけがえの無いものでした。但し成績については、全ての受験生が本腰を入れて勉強をしていますので、簡単には伸びて来ず。何とか偏差値60が目前まで来たものの、遂に最後まで60を超えることは有りませんでした。受験の素人である親としては、偏差値50台で果たして海城中学に合格出来るものなのか、途中、判断を迷う気持ちも有りましたが、成瀬先生をはじめ、プロフェッショナルな先生方が、受験校対策・アドバイスを、息子や両親にしっかりと行ってくださり、最終的には海城中学を第一志望から変える事無く、入試本番に臨みました。
そして、受験当日も早朝から塾で“活入れ”をして頂き、結果は無事に合格。
改めて受験を振り返っても、やはり息子の場合は、鼎進学教室に入っていなければ、決して海城中学に合格することは無かっただろうと思います。 小学校から帰ると、ランドセルを置いて、一目散に塾に向かうその背中は活き活きとしており、彼自身がそこで「個」として尊重され、存在できる「居場所」を具つけた様でした。 信頼し尊敬する「先生」と出会いや、同じ目標を目指す「仲間」と切磋琢磨し合える関係を持てた息子は幸運であり、本人の人間的な成長を喜ばしく感じることが出来ました。
また勉強を通して、困難に向き合う姿勢や心構え、それを乗り越える忍耐や努力。思考力や想像力、知識によって、自身の関心・世界を広げて行くことなど、受験勉強の目的・結果以上に本質的な「学び」の機会を頂き、その様なかたちで指導・教育を頂いたことに、心から感謝しております。
3年間、本当に有難うございました。
