Fさんより 穎明館中学校進学
私は5年生で鼎に入りました。 最初、冬なのにタンクトップを着ている男の子がいたり、モヒカンの先生がいたり、私の学校にはいない人たちがいて(ここは動物園なの!?)と思いました。
私は計算が苦手で分数の計算が出来ない時に横田先生が計算のやり方を教えてくれたり問題の解き方を教えてくれたりしました。でも組分けの成績は伸びないまま6年生になりました。理科と国語の先生が変わりクラスの態度が悪く理科の岡本先生に怒られてばかりでしたが理社会テスト大会はいつもTOP10に入るようにしていました。ですが、受験のストレスでゲームをしていたり、国立駅で渡邊先生を見かけても声をかけずに無視をしてしまい最後まですごくいじられました。最後の合不合テストは偏差値40ほど、面談では埼玉入試から全部×と言われるほどヤバかったのです。そして1月10日西武文理を受けました、結果は○、合格発表は緊張してパソコンのクリックができないほどでした。家族からはこの合格は奇跡と言われるほどでした。1月14日大宮開成、受験会場から出たときに(やばい、絶対落ちた)と思いました。結果は×、この結果で私の気持ちは変わりました。
入試1週間前、毎日鼎に通い過去問をひたすら解きました。 私は穎明館か工学院を合格できたら成蹊の入試を受けられると言われ、成蹊を受けるために頑張っていました。そして2月1日朝5時起きて鼎に行きます。鼎でやった計算はとても効果があり頭が働き眠気が覚めた気がしました。1日目の午前は穎明館、午後は共立女子第二です。穎明館の結果は×、合格ラインまであと16点でした。私は悔しくてたまりませんでした。算数の計算間違いさえしなければ合格していたからです。ですが共立女子第二は○でした。2日目、午前中は穎明館、午後は工学院です。午前中の穎明館は問題が難しく、理科できのこの問題が出て焦りました。そして終わった時に大宮開成と同じ気持ちで会場を出てきました。ですが気持ちを落ち着かせ工学院へ向かいました。工学院が終わり鼎に戻ると鼎の先生から私は合格最低点で合格したという知らせを聞き私は嬉しくて声が出ませんでした。家に帰ると家族と一緒に嬉しくみんなで泣きました。午後9時に工学院の発表で○でした。そして私は成蹊の入試を受けることが決まりました。3日は成蹊の入試対策で過去問を解きました、理科も社会も算数もボロボロの点数で合格は難しいと言われるばかりでした。4日受けた成蹊の合格は×でしたが、横田先生から算数は力を出せたと言われ嬉しく社会も渡邊先生のお陰で練習より発揮でき成蹊を受けれて良かったと思いました。これで私の鼎生活は終わりです。鼎の先生たち2年間ありがとうございました。
Fさんのお母さまより
近所にある焼鳥屋さんの店主さんから、中学受験をするなら「鼎」とお勧めされ出会いました。当時はenaに通塾していましたが、enaの塾長さんにも鼎なら大丈夫!と背中を押され5年生の春から転塾することに。最初は週3日の長い授業時間、個性的なクラスメイト、個性的な先生達と環境の変化に慣れるまで時間がかかりました。算数では初歩的な計算が出来ず、横田先生の特別補習の提案までありました。日々の課題や組分け対策で、とりあえず「やる」「こなす」の繰り返しでした。成績は目立った変化がないまま6年になり、あっという間に時間は過ぎ去りました。
6年生後半の面談では、娘の成績と意欲が低すぎてお通夜状態。行くのが憂鬱だったのを思い出します。そんな娘ですが理社テスト大会だけは気合の入り方が異常で常にクラスのトップでありたいと燃えていました。その情熱を受験へと向けられたらと期待していましたがスイッチが本格的に入ったのは埼玉受験直前です。1月始業式から学校を休み鼎生活になりました。最後の面談では1月入試は全部×だと思いますと渡邊先生に言われ、1/10西武文理が終わり鼎に顔を出した時に渡邊先生が「娘さん、社会できています!多分大丈夫」と言ってくださり真っ先に私が号泣してしまいました。直前でも必死な姿を見ていたので、なんとか合格をみせてあげたい親心です。その後1/14大宮開成はダメでしたが、本人は悔しがり2月本番へとスイッチが切り替わりました。
最後の模試まで偏差値30から40前後の状態で先生達をとても困らせたと思います、本人が第一志望の穎明館へ行きたい!そしてチャレンジ校である成蹊の試験を受けたい!!という気持ちがとにかく強く、先生達と娘の信頼関係が良い状態で2月本番を迎えられました。2/1穎明館は不合格、計算が合っていれば合格だと言われ凹む娘。本人も出来た自信があっただけにショックは大きく何とか気持ちを持ち直して2/2穎明館リベンジです。1日目より受験者数が多い2日目、まず人数に圧倒され、さらに前日出来た自信があっただけに今日は出来なかったらどうしよう・・という不安から顔色が悪くなる一方。親としてできることは、箱根駅伝の監督のように励ますのみ!ただ応援がうるさかったようで娘からは「恥ずかしいから静かにして」と言われました。試験が終わり、やはり前日の方が手ごたえあったとの事で落ち込み気味でした。合格発表の時間、鼎にいる娘から連絡が来なかったのでダメだったのかなと自宅で確認をすることに。まさか番号があるとは思っていなかったので番号を見つけたときは号泣、主人は何十回も番号と受験票を確認していました。
2/1と2/2は両日とも併願校の受験が午後からあったので気持ちを切り替えたり休める環境を作ってあげたり主人と全力でサポートしました。 2/4娘が憧れた成蹊受験をすること出来ました。娘の成績からではかなり厳しいと言われ続けていましたが、本人が受けたいと強く願い叶った受験です。前日は予定が空いたので、鼎にて成蹊対策をしてくださり問題は難しいけど解くのが楽しいと娘は言っていました。結果は悔しく終わりましたが娘なりのケジメがつけられたと思います。 2年間。娘を支えご指導くださった先生方には感謝の気持ちでいっぱいです。他の塾にはない先生一人一人の熱さが大好きです、ありがとうございました。
