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2021年度 合格体験記

Gくんより 桐朋中学校進学

僕は、小学3年の終わりから鼎進学教室に通い始めました。最初は早稲田実業が志望校でしたが、5年の時に桐朋を見に行き志望校を変えました。でも、その時は受かると思っていませんでした。
6年生になり夏前の合不合で理社の暗記や国語ができなくて偏差値が低すぎたので理社の四科のまとめなど、国語の文章を何回もやりました。その結果最後の合不合では今までで一番高くなりました。

1月校では10日に受かった所の特待生を狙い11、12日も同じ所を受けましたが、合格者最低点から20点も離されました。けれど14日は合格者最低点から20点以上高く合格しました。次は今まで目標にしていた桐朋だと思うと、緊張していました。本番まで数日前の日につかれているのか算数の解答用紙の氏名の所の名前をまちがえてしまいました。

本番は国語はよくできたと思いました。桐朋が終わったら鼎に行き自己採点をしました。算数は3問まちがいでそのうちの1問は大問この(3)でかけわすれをしてしまいました。よくできたと思った国語は実際は全然出来ていなくてなんとか半分にとどいたくらいでした。家に帰り、不合格だと確信して結果が出る前に寝てしまいました。次の日の朝に母から「合格だ」と言われおどろきました。
前から目標にしていた学校に合格してよかったです。勉強がいやだった時もありましたが、やってきてよかったと思っています。
鼎の先生方今までありがとうございました。

Gくんのお母さまより

「えっ? 合格?」 2月1日、桐朋の合格発表を見て、親、のけぞる…
まさかこんな日がこようとは、思ってもみませんでした。
「厳しいけれど楽しく通えて、最後の半年は全ての勉強を塾内で済ませる塾がある」と聞き、3年生の冬期講習を経て、2月から鼎に通い始めました。初めての組み分けテストが終わり1組からスタートしましたが、成績は落ちる一方。宿題もきちんとこなすはずもなく、あっという間にクラス落ち。息が止まるような成績をとりました。 塾は続けたい、でも宿題は頑張れない。という状況が長く続き、4年の終わりには、退塾の相談に行くほどでした。5年の後半、やっと算数が安定。しかし、苦手な国語と社会は低空飛行のまま。相変わらず、桐朋は雲の上の存在でした。

6年、コロナでまさかの学校休校。時間だけは有り余っている…これはチャンス?と、最大の苦手科目である国語について、小町谷先生に相談。
「いっちょやりますか!!」小町谷先生による補習がはじまり、受験直前まで続けていただきました。 また、この頃から、宿題の大部分は塾で済ませるようになりました。それでも成績は思うようには上がらず、最後の合不合を迎えても、桐朋に受かりそうな気配は見えません。

12月半ば、満を持して?算数の調子が上がり。時々、過去問で驚くような点数を取るようになりました。 それでも、その頃も息子は相変わらず。自宅では緊張感もなく、受験期という雰囲気ではありませんでした。
そして、1月25日、立教新座からの帰り道。「算数の時間配分を誤った。不合格だ」と、悔しくてたまらない様子。息子の初めて見る姿。受かろう!という強い気持ちを持っていたことに、初めて成長を感じました。
1月31日。桐朋受験の前日を迎え、今までとは打って変わって、緊張感から、夕食があまり喉を通らず。マイペースな息子も、この日はさすがに、翌日の持ち物準備をしました。

2月1日。息子は一人で桐朋に向かいました。夜、息子就寝後に桐朋の合格発表。 受かっていたら絶対に起こす!という約束のもと、疲れ切って熟睡している息子に、声をかけ何度も揺らし、合格を伝えると… 寝ぼけながらも、反射的に跳ね上がりました。よっぽど嬉しかったのだと思います。そして、嬉しすぎて夜中の3時まで眠れず…それでも翌日は、5時半に起きて鼎に向かい、寝不足のまま最後の受験を終えました。

最後の半年間、親は何度も桐朋から撤退しようとしましたが、その度に、息子の固い意志と先生方の励ましで、最後まで桐朋をめざすことになりました。 息子の力を信じ続けてくれて、全くぶれなかった先生方のおかげで、3年間どうにかやってこられました。また、厳しいけれど楽しい鼎で、素敵な戦友たちと一緒だったからこそ、過酷な受験期を乗り越えられたのだと思います。 親子ともに感謝の気持ちでいっぱいです。
「これで終わりじゃないよ。今からまた始まりだよ。これからは、誰も何も言ってくれないから、もっと大変な道だよ。そういう学校を自分で選んだのだから。」
合格後に小町谷先生からいただいたはなむけの言葉。6年間忘れずに学校生活を送ってほしいと願っています。

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