Dさんより 富士見中学校進学
私は、5 年生の夏期講習から鼎に転塾してきました。最初はすごく面白く、楽しかったですが、6年生になると勉強に苦痛を感じるようになりました。特に算数では、しっかりと解き方をつかむのが難しく、先生によく怒られ、傷つき、塾では泣いていないけれど心の中で泣いていました。泣くのをこらえすぎて、その反動で家の中では悪口をたくさん吐いてしまい、家族に当たってしまうこともありました。
6年の冬期講習も終えて、1月10日の開智所沢の入試で一発合格をいただき、気持ちが少し落ち着いてしまいました。2月が本番だということが頭から少し抜けていて、10日前くらいになってようやく「このままではやばい」と気づき、そこからまた頑張り始めました。
そして迎えた2月1日の本番。自分よりもはるかにレベルの高い第一志望の鴎友学園に挑みました。2日目は富士見を受けました。その後、母から鴎友が不合格だったことを知らされ、泣きました。
さらに、連続で2 回目の富士見も落ちてしまい、もう夢はないと思い、絶望感でいっぱいでした。
しかし、3 回目の富士見は、しっかりとメンタルを立て直して、いつも通りに試験を受けることができました。そうすると、落ち着きが取り戻せ、算数も「やり切った!」という手ごたえがあるように解け、無事に合格しました。その時は、心から安心して嬉しかったです。これで、私の受験は終わりました。
算数ができなくて辛かった時、最後まで見捨てずに熱心に向き合ってくれた鼎の先生方、本当にありがとうございました。先生たちのおかげで、最後まであきらめずに走り切ることができました。
そして、お父さんお母さんへ。受験のストレスで、家ではわがままを言ったり、八つ当たりをしてごめんなさい。それでも毎日おいしいお弁当を作ってくれたり、夜遅くまで勉強に付き合ってくれたり、最後まで私を応援してくれて、本当にありがとう。
これから受験をする皆さんも、体調に気を付けて本番に挑んでください!
私は、春から富士見に通えることをとても楽しみにしています!
Dさんのお母様より
2月3日、午後7時。心臓が早鐘を打つ中、富士見中学校の合格発表サイトに娘の受験番号を入力しました。「合格」という文字が画面に映った瞬間、思わず涙が溢れ出しました。すぐに谷保天満宮の節分豆まきに出かけていた夫と子供たちに電話をかけると、「やった!」と嬉しそうに叫ぶ娘の声が聞こえました。こうして、娘の3年間にわたる中学受験は幕を閉じました。
娘は4年生から中学受験を始め、5年生の前半までは大手進学塾に通っていました。私たち夫婦は共に中学受験の経験がなく、周囲の話に影響され、「勉強ができるようになるし、高校受験がないから大学進学に有利」といった気軽な気持ちで始めさせました。しかし、いざ蓋を開けてみると、想像を絶するつらい日々でした。
娘は頑張って塾に通っていましたが、授業内容を消化しきれないまま帰宅します。夕飯後、私と娘は机に向かい、夜10時、時には11時まで私が解説し、隣に張り付いて勉強させる毎日でした。中学受験は「母親の狂気」という言葉をネットや本で見聞きし、私が完璧なスケジュールを立て、モデル通りに娘をサポート、いいえ、コントロールしようとしていたのです。
結果、親子喧嘩が絶えず、勉強時間よりも喧嘩している時間の方が長いような有様でした。塾の内容も消化不良のまま5年生に進み、「辞めたい」「辞めない」の押し問答。成績も親子の精神状態も限界に達していました。「このままでは仕事も手につかず、子供も不幸になってしまう」と強く感じ、退塾を決意しました。
しかし、1年半努力してきた娘の頑張りをなんとか形にしてあげたい、最後まで走り抜けさせてあげたいという思いも強くありました。近隣の塾をいくつか訪ねた結果、鼎の門を叩きました。体験授業で先生の話が面白かったこと、そして幼稚園や小学校の友人がいたことで、「ママ、鼎に通う」と久しぶりに娘の笑顔が見られ、心から安堵しました。
5年生後半からの鼎での生活は、拘束時間が長く、お弁当持参のハードなものでした。それでも夜10時過ぎに帰宅した娘は、興奮して塾での笑い話を話してくれ、楽しんでいる様子でした。ただ、娘は我が強く、またシャイな一面もあり、コツコツやってはいるもののパターン学習から抜け出せず、成績はずっと低空飛行。6年生の面談では「このままでは富士見も危ない」と先生方から心配されるほどでした。
娘自身も精神的に不安定で、「算数を理解したい」という気持ちと、「追いつけない自分」との葛藤に苦しんでいました。親としてはただ傍で見守るしかなく辛い時期でしたが、下手に介入することはせず、娘と先生たちに任せることにしました。
6年生の夏、クラスが変わったことで少し心の余裕ができ、算数への自信を取り戻し始めました。
冬になり志望校には悩みましたが、第一志望は4年生から憧れていた鴎友を挑戦校とし、第二志望には娘も私たちも大好きな「富士見」、第三志望には近所で評判の良い「穎明館」に決めました。
その後、娘は第一志望の鴎友に向けて一心不乱に努力しました。毎日夜遅くまで塾に残り、寒風の中を私や夫と歩いて帰り、「疲れた」と言いながらも翌日には強い意志で塾へ向かう姿がありました。
もちろん、泣く日もありましたし、大晦日も勉強漬けでヘトヘトになり、祖父母との電話中に机に伏せてシクシク泣くこともありました。ストレスが溜まっている娘を見て、「頑張れ」と心の中で祈るしかありませんでした。
1月10日、前受けの開智所沢で合格を頂きましたが、家では緊張感が足りないように見え、心配して塾に相談しました。すると渡辺先生に「親が無駄に心配すると子供に移ってしまうよ」と叱られ、ハッとしました。それ以降は、静かに見守ることに徹しました。
1月31日の夜、娘は大きな袋を抱えて帰宅しました。中には沢山のお菓子やカイロ、そして先輩たちからの温かい応援メッセージがずっしりと入っていました。中学受験というイベントを通じて、こんなにも多くの方と繋がり、娘を見ていてくれたこと。結果はどうあれ、ここまで頑張ってきた娘と友達、応援してくれた方々に胸がいっぱいになりました。
2月1日、鴎友へ向かう道中、隣を歩く娘は今まで見たことがないほど真剣な顔をしていました。緊張と不安、そして「いよいよ戦うのだ」という決意が表れていました。
2月2日。正午に鴎友の不合格を知りました。悲しさに浸る余裕もなく、娘にどう伝えるべきか考えていた矢先、富士見の試験を終えた娘が、目を赤くして今にも泣き出しそうな顔で出てきました。「算数でミスをして、社会もうまくいかなかった。多分落ちた」と。
考える間もなく、途中で横田先生に電話報告し、そのまま中央線に乗って穎明館へ向かいました。
体調も優れず、心に大きな不安を抱えながら、娘は穎明館の午後入試を戦い抜きました。
その夜7時、富士見の合格発表サイトを開き、「不合格」の文字が目に飛び込んできた瞬間、娘は大泣きしました。想定していなかった現実を突きつけられ、世界が崩れ落ちたかのように泣きじゃくる娘。その姿を見るのが辛く、私はただ娘をきつく抱きしめることしかできませんでした。「12歳の子供にこんな辛い経験をさせるべきだったのか」と自問自答し、今でもその正解は分かりません。
涙を拭き、心身ともに疲弊していた娘は早くに就寝しました。しかし翌3日の朝、娘は何事もなかったかのように塾へ向かいました。薄暗い中、車から降りて塾へ向かう娘の背中はあまりに逞しく、また涙が溢れました。
その後、落ち着いて富士見の試験を終え、大好きなサイゼリヤで食事をしました。昨夜泣き腫らした瞼のまま、元気に食べる姿を見て、3年間あきらめずに難問に挑み続けた娘を、心から誇らしく思いました。
娘の受験の3日間は、短いようで長く、夢のような時間でした。
鼎での1年半、子供に真摯に向き合ってくださった熱い先生方、共に頑張った仲間たちに恵まれ、感謝してもしきれません。特に、「真の学びとは何か」「人としてどうあるべきか」という教えは、単なる知識の量ではなく、誠実さや素直さ、本気度が人生で最も大切であることを娘に教えてくれまし
た。そして私たち親も、自分自身を見つめ直す大変良い機会を頂きました。
3年間、「受験させていいのか」と悩み続けましたが、娘はあっという間に成長しました。遊びやボーッとする時間を我慢し、机に向かう日々は大変なストレスだったはずです。しかし、自分で計画し、堪え忍びました。その間、娘は知識はもちろん、常識と忍耐強さ、失敗から立ち直るレジリエンス(回復力)を身につけ、心の強さも鍛えられました。痛みと共に成長してくれたことは、親として何よりの喜びです。
伴走してきた私たちも、何が正解かは分かりません。しかし、悔しさや挫折の中で立ち上がり、3年間の並大抵ではない粘り強い努力を一番そばで見てきたからこそ、富士見での合格を勝ち取った娘を心から誇りに思います。
そして、娘自身もこれまでの努力をしっかりと認め、ここまでの勇気とチャレンジ精神を持って、自らの未来を力強く切り開いていってほしいと願っています。
