Cさんより 洗足学園中学校進学
私は、四年に鼎に入塾しました。入った頃は、なんで中学に入るためだけに勉強しないといけないのだろうと思っており、成績も偏差値50代後半でした。五年になって算数を成瀬先生、国語を小町谷先生、理科を岡本先生、社会を渡邊先生にクラスを持っていただきました。五年になってからはほとんど50代後半、ぽつぽつ60代前半と少しずつ成績が上がり気味になっていました。そして、自分も良い気になってしまい勉強をおろそかにしたため、成瀬先生に「これだとまずい」と言われました。私もそのことがよくわかっていたから、直そうとしました。 また少しよくなってきた頃、第一志望という概念がわかるようになってきて、第一志望を吉祥、第二志望を洗足、第三志望を浦和明という順にその学校に入りたいなぁと考えるようになりました。
私はそのまま日々よくなったり、悪くなったりしながら算数をキープすることができました。また、国語は初めのころは、何をしていいのかもわからず、『目で見て何となく』で解いていたため、組分けや志望校判定では平均を超えることがなかなかありませんでした。まずは文章の大切なところに波線を引こうと先生のものを見よう見まねでやってみました。線を引き始めた次の個人面談で、「波線は引くのに時間がかかるので実線で引いたほうが良い」というアドバイスをいただきました。それで読むペースが上がり、少しずつ筆者の考えが読み取れるようになっていき、平均を下回ることはあまりなくなっていきました。理科は、六年になってから知識不足が目立っていると言われていたため復習ノートを作り始めましたが、何を書けばよいのか、見た目にこだわりすぎてしまい、なかなか作り進めることはできませんでした。とりあえず計算問題の復習ではなく、知識や記述、図での問題などを復習していました。社会は理屈と一緒に知識を頭に詰め込んでいくことを重視していました。
6年になったところで、第一志望を洗足、第二志望を浦和明、第三志望を鷗友と変えました。そして何度も叱られる中で1月受験を迎えました。 1月受験には栄東のA日程と浦和明の星を受けて両方とも○○となりました。浦和明の星も〇だったため油断してしまい、あまり受験という実感がなくなってしまいました。2月1日に洗足を受けると朝から頭が回らずフワフワしていて結果は×。初めての×だったからかとても悔しく、明日は必ず〇をとってみせると朝から自分の周りのフワフワとした空気をなくし、気合を入れてテストに臨みました。結果は〇。自分の入りたい学校がテストを3回も行ってくれて有難く感じました。〇をとることができたのも鼎の先生方のおかげです。どうもありがとうございました。
Cさんのご両親より
成瀬先生はじめ鼎の先生方には、この3年間、微に入り細に入りご指導くださり心より御礼申し上げます。
両親ともに中学受験組のため娘も同じ経験を、と決めてはいたものの、公文も先取り学習もすることなくのんびりと低学年を過ごしていました。 (親バカですが)娘はとても気立てが良い、真面目で素直な優しい性格です。しかし、受験ではその性格が裏目に出るのではないか、無理やり競争させて性格が歪んでしまわないかが一番心配でした。3年生の秋頃から塾選びを開始し、S塾・W塾・N塾・Y塾とほぼすべての大手塾を見学に行きましたが、娘の美点を活かしてもらえると思えず躊躇していました。その頃、偶然知人より『鼎進学塾が抜群に面倒見がよい』という話を聞き、ビビッときて入塾を決めました。 勉強自体は鼎の先生方にお任せで、理社や漢字・熟語の暗記の手伝いをしましたが、ほぼ自走でした。家に学習机もなく、小さい弟2人に邪魔されるという劣悪な勉強環境でよく頑張ったと思います。根っからのマイペースなのか、模試の際にサイズ&左右違いの上履きを母に持たされても、弟達のせいで当日遅刻しそうになっても成績が変動しない寛容な性格にはいつも感心していました。志望校を洗足学園に決めた後は、自宅でのあまりにのんびりした姿に親がソワソワして時々煽りましたが、どこ吹く風でした。
1月の埼玉受験(栄東A、浦和明の星)も緊張感なく終わり、結果は幸い〇でしたが、そこから普段以上に気持ちの緩みが出ていたように思います。親は内心心配でしたが、鼎での過去問対策で各科合格最低点は超えているという本人の話を鵜呑みにし、直前で親の気持ちも少し緩んでしまったことを猛省しています。 2月1日第一志望の洗足学園受験日の朝も、どこか緊張感がなく、普段の模試を受けにいくような緩い態度だったので不安でしたが、案の定×でした。試験終了後すぐに鼎に向かい、鼎で不合格を伝えられ大号泣で帰宅しました。どう慰めたらよいか、激励してよいのか、どうしたら気持ちを立て直せるのか逡巡を重ねる地獄の一夜。試験当日に結果が出る怖さが身に沁みました。
いつも笑顔の娘が無表情で就寝、翌朝も表情が変わらず心配でしたが、朝食を少しゆっくり食べ、軽く体を動かした後はわずかに笑顔も見え、2日目受験に引き締まった表情で向かいました。幸い合格をいただき、成瀬先生からの電話に家族一同狂喜乱舞し、怒涛の2日間で受験生活は終わりました。 この3年間、成績は緩やかに上昇(入塾時4科57前後⇒最終63前後)し大幅な崩れもなく、本人の精神的なアップダウンもほぼなかったため、巷できくような親子の修羅場はありませんでした(親が時折『大丈夫?』と聞いても『大丈夫、大丈夫』としか返ってこないため看過する日々)。最後の最後でジェットコースターのような思いをするとは夢にも思わず、親として恥ずかしいほど自覚不足でした。本人も1日目不合格になってやっと『真剣になる』ということが身に染みてわかったようで、(何とか合格いただいたから言えることですが…)親子とも本当に良い経験になりました。
鼎の先生方が第一志望校合格への道筋を築いてくださったことは勿論ですが、何より、娘の気質を尊重し可愛がって下さったこと、優しく鷹揚なままの性格で受験を終えられたことを心から感謝しております。また、基礎から発展的な内容までの懇切丁寧な指導、直前の細やかなバックアップをしてくださった鼎のおかげで、もともと受け身であった娘が最後には積極的に行動できるようになったことが一番の喜びです。くれぐれもお体を大切になさり、これからも子供たちの支えとなってくださりますようお願い申し上げます。 以下、これから受験を迎える方の参考になれば幸いです。
●プリント整理について: 鼎生活で一番苦労したのは、プリントの整理です。リュックの中はいつもぐちゃぐちゃ、目一杯すぎて取り出すこともできず…成瀬先生に確認すると『4年は捨てていいですよ。5年から算数だけは段ボールにでも入れておいてください』とのことでした。組分けの度にまとめて処分させていましたが、今度は必要なプリントを持って行き忘れ、度々忘れ物届けに塾に行きました。6年生の分はとりあえず段ボールに入れて(放り込んで)保管していましたが、途中で見返しをしている様子はありませんでした。リュック整理も諦め、体力育成と思い20㎏近くを担いで通わせました。
●参加した学校説明会について: ・鼎(親のみ参加):吉祥女子、成蹊 ・本人+親:洗足(説明会、授業見学会、学園祭、体育祭)、吉祥女子、浦和明けの星 ・親のみ;鷗友、恵泉、晃華、富士見
●受験校予定について: 1月校 栄東A、浦和明けの星 2月1日午前洗足/(午後恵泉) 2日洗足、(3日鷗友 4日浦和明けの星)(5日洗足) *当初の予定。( )は明けの星の結果を見て出願せず
●栄東受験について ・コロナ禍のため受験校が3か所、申し込み順に振り分け。番号が早いと栄東校(エントリー日の14時申し込みでも栄東校でした) ・入試当日は駅から学校までが大混雑、牛歩の歩み。8時10分東大宮駅着⇒8時50分学校着となってしまい、開始前にほとんど見直しできず。 ・当初受験する予定はなかったが、先生のご指示で受験。試験前夜にシャーペンの芯がない、遺言書ノートが見つからない、受験票どこ?…など、大慌てで準備不足が発覚し、本番前の良い練習になりました。
●浦和明けの星について ・受験番号毎に学校内の建物が分かれる。番号が早いほど校門近くの建物。 ・予め解散時間が指定されるが、受験番号順で、早い方が早く解放される。ほぼ学校の予告通りの解散でした。
●洗足学園の入試体験会について ・親向けに受験当日について詳細な説明があり心強い ・入試体験会での問題を参考に、同じ会場で受験生に囲まれて本番のような体験ができる ・親も問題解説をしてもらうことで、学校が何を求めているか肌で感じることができる ・体験会問題と過去問を比較することで、ちょっとした出題変化に気づくことができる 今年の場合は、国語の知識問題が選択式から穴埋め式にかわった、算数の計算問題の一つが虫食い算にかわった、社会で地図から地形を読み取る問題が重視された、などが当てはまると思います。もちろん、鼎の先生は十分に理解されて指導をしてくださっているわけですが、似た問題を出しつつ年々難化する洗足入試を親も理解しておくことはマイナスにならないと思います。
●1月中の様子 1月16日・17日のみ登校、それ以外は学校欠席し、鼎で勉強(9時~20時頃) 1月31日 朝から鼎⇒夕方壮行会(帰宅20時頃) 2月1日 5時起床・朝食⇒朝6時鼎着⇒6時半親と合流し国立駅から出発。試験後鼎直行、20時帰宅 2月2日 前日同様。17時頃帰宅
