2021年度中学入試合格体験記

2021年度中学入試に合格した卒業生と、その保護者の方々の声をまとめました。是非ご覧ください。

Dさんより 雙葉中学校進学

小学校4年生の4月、中学受験に興味を持った私は、学校の友達が通っていたこともあり、鼎に入塾しました。両親とも中学受験の経験はなく、身近な知り合いにも受験をする人がいなかったため、全く想像がつかず、入塾してからも、とりあえず宿題をこなし、ときどき忘れ、休日に何とか終わらせる、と言う半ばやる気のない日々を送っていました。

5年生になって算数が成瀬先生に変わり、復習ノートが本格的に始まったことで、今まで通りの勉強方法ではまわりについていけないかもしれないと不安に思い、今まで夜にやっていてついつい眠気に負けてしまい身に入らなかった宿題を、朝に眠気に引っ張られることもなく、すっきりとした気持ちでできたので、4年生のころより勉強が楽しく思えるようになり、段々とやる気が出てきたのを自分でも感じていました。
しかし6年生の秋頃、大きな壁にぶつかりました。かなり点数が安定し、調子がよかった合不合で、今までとったことのないようなひどい点数を取るようになり、特に理科は半分にも満たない点数に。また、入試の問題を解くときに、問題文の意味が全く分からないと思うことが増えました。
その時に成瀬先生から「何かを変えてみては?」と授業が終わってからも少し塾に残って自主勉強をすることをすすめられ、社会は予定におくれ気味だったテキストを終わらせていくことにしました。
まわりの進み具合とだいぶ差がついてしまっていたので、どう手をつけてよいのか分からずあせっていたところ、小池先生が私の苦手な単元をしぼり、その単元を優先的に進めるよう計画を立てて下さったため、思ったよりも楽に終わらせることができました。

その後少しずつ元の成績に戻り、なかなか安定しない教科はあるものの、塾での居残りを始める前よりは悪くはなりませんでした。入試直前に始まった自主学習時間では、さらに苦手な部分をつめていきました。普段の授業よりもさらに細かく教えてもらえたり、自分の疑問によりていねいに答えてもらえたりしたので、自主学習時間は、頭痛持ちで授業を休みがちだった私にとって、とてもありがたい時間でした。
そして1月、全く実感がわかないまま、浦和明の星を受験しました。新型コロナウイルスの影響で、鼎の先生方は学校には来れず、どのような雰囲気なのだろうと少し期待していた例年の光景を見ることはできなかったので、残念ではありましたが、その分入試の緊張感はあまり感じられなかったので、安心して試験を受けられました。
結果は無事合格。とてもうれしかったです。が、「気のゆるみがでないように」と言われ、すぐに気持ちを2月1日の雙葉へと向けました。
苦手な理科や算数の書き出しを練習し、気がつけばむかえていた本番。1月入試とは会場の緊張感が全くちがい、成瀬先生からいただいた「お守りラスカル」から先生の声が聞こえてくるかもしれないと期待したものの、全く声が聞こえてくる様子はなく、自分自身で今までの成果を出さなければいけないのだということに気づき、不安に思いました。
そして始まった試験。1教科目、得意の国語は順調、心配していた漢字や言葉の問題も全て解くことができました。が、2教科目・4教科目の算数・理科は時間内で全て解くことができず、「もしも落ちたら解いていないこの問題のせい」とまで言われ、余裕のあった1月入試の時とはちがい、合格発表の日はとてもこわかったです。
結果は国語と社会が算理の分を何とかカバーし、合格することができました。最後まで、苦手科目を完璧に仕上げることができなかったことはとても悔しいですが、私の苦手な部分をなんとかするためにプリントや過去の入試問題を考えて用意していただいた鼎の先生方にはとても感謝しています。全て鼎に任せきりでしたが、とても充実した勉強ができました。本当にありがとうございました。

Dさんのお母さまより

娘は、「受験をしてみたい」と言う漠然とした思いから、小4の4月より鼎にお世話になり始めました。
それまで小学校の勉強以外は特にやっていなかったので、塾の授業についていけるのか、難しくて勉強が嫌になるのではないかと心配しましたが、最初から「楽しい!先生の話が面白い!」と言って喜んで通うようになりました。でも、やはり週2回の通塾と宿題をこなすのは大変で(初めての鬼軍曹には面喰らいました)、2ヶ月くらい経ってようやく慣れてきた感じがしましたが、計算はやらない、漢字もノート練習はしていなかったりと、4年生の頃はのんびりとしていたと思います。

5年生になり、勉強のボリュームが増えて、週末にもやらなければならない課題がたくさんになりました。午前に済ませて午後はのんびりすればいいのに、朝はゆっくり起きてきて着替えもせずにゴロゴロ。夕方になってようやく机に向かうという感じで、私はそばで見ていてこの頃が一番ストレスが溜まりました。
そして、体の成長に伴い偏頭痛が度々起こるようになってしまい、塾も時々休んだりするようになりました。本人も思うように勉強が進まず、テストでも結果がでないときなどは気持ちも不安定になるようで、「塾に行かない~!」と言って号泣したり、なんてことも3年間のうち2、3回ありました。「もうやめたら。やめていいんだよ。」と言ったこともあるのですが、本人は「やめたくない。」と。思い切り泣いてぐっすり眠ると復活してまた頑張る、という感じでした。

6年生になり、いよいよこれからというときにコロナで休校になって、春はかなりダラダラしていましたが、塾も学校も通常スケジュールに戻ってからは本当に大忙しでほとんど家にいない生活。親は、4年の頃から勉強は塾にすべてお任せで、長いお休みの時に出る大量の宿題のスケジュール管理と週テストなどの丸付けをするくらい。6年でテキストも終了して丸付けがなくなってからは、毎日のお弁当作りと送迎をするのみでした。
娘は、夜より朝の方がはかどるから、と自分で朝早く起きて勉強をしていたようです。娘が何時に起きていたのかすらわからないくらいのダメ母です・・・。 偏頭痛が毎月のように出て、その度に学校や塾を欠席していたので、入試本番に向けて体調が悪くならないか本当に心配でしたが、冬期講習もなんとか休まず参加して、本番まで体調を崩すことなく入試に挑むことができました。

冬期講習から入試が終わるまで、休みなく毎日朝から晩まで指導していただき、鼎でなければ最後こんなに頑張れなかっただろうと思います。 「勉強が楽しい!」という感覚も鼎でなければ味わえなかったと思います。3年間本当にありがとうございました。

Eさんより 吉祥女子中学校進学

私が鼎に入ったのは小5の春で転塾でした。
入ってからは成瀬先生のおかげで前の塾のように表面的にやってはダメだということが分かり算数は真面目に取り組んでいました。ですが、そこで算数ばかりやってしまって6年になって理社などの知識をもっと真面目にやっておけばよかったと後悔しています。

が、6年になって小池先生は自分は社会が苦手だったので授業が終わった後に補習をしたりプリントを置いておいたりしてくれました。そのおかげでずっと偏差値50台だったのが最後の合不合では60を超えました。そしてついに本番の浦和明の星を迎えましたが、とても緊張し結果は×でした。
成瀬先生にはあと1、2点だろう言われとても悔しかったです。そこの浦明で私は国語が100点満点中自己採点が59点でそこから小町谷先生の補習が始まりました。2月1日まであと2週間しか無かったけど低迷していた国語の点数が補習のおかげで選択肢をさばけるようになり、上がりました。こんなに手厚くしてくれる塾は無いと思います。本当にありがとうございました。

ついに2月1日がやってきました。第一志望は豊島岡だったので2月1日は第二志望の吉祥女子を受けました。
少し緊張はしていましたが朝の計算のおかげで緊張がほぐれて落ち着いた状態で試験を受けることができました。ただ午後に晃華を受けたのですが、算数がケアレス・ミスばっかりしたことに気づき後悔し、こんなんで吉祥女子に受かるのかと、とても不安でした。
だが結果は午前・午後どちらも○でした。私は安心し、泣くほど喜びました。ただ成瀬先生に本番は明日だ言われ絶対にケアレス・ミスをしないと心に誓いました。が、2月2・3・4日と私の番号はありませんでした。ただ3日に朝、塾に行けなくて不安になったのを成瀬先生が電話で励ましてくれたのをとても感謝しています。
他にも色々この塾に感謝していることはたくさんあります。鼎じゃなければ豊島岡も目指せなかったと思います。たくさんの受験生の中から自分を選んでくれたこの吉祥女子を誇りに思い、存分に楽しみたいと思います。

Eさんのお母さまより

私達親子が中学受験を決めたのは小2の冬でした。
理由は通っている小学校の学級崩壊でした。最初は大手進学塾に通っていましたが、5年生に上がる頃毎週の必習テストを受けるように言われ、私達親子供、疲労して行きました。このままでは本来の勉強は楽しいという事やこの子は幸せになれないという思いから鼎進学教室の門を叩きました。

入った瞬間からこの塾は良い、娘を幸せにしてくれると直感しました。娘の成績は偏差値60を上下しながら確実に上がって行きました。6年生になって毎日23時まで残るようになり、先生方には本当にお世話になりました。ここまで付き合ってくれる塾はないと思います。
6年の10月頃、印象的だったのは成瀬先生に算数を習っていた事で娘に「ママは算数が好きか?」と聞かれ「ママは算数は考えるだけで頭痛くなる嫌い」と答えたら「それはママが真剣に算数の難問を解いたことがないからだ。とても面白いんだよ。」と言われ、本当にこの塾にして良かったと思いました。やっと勉強の楽しさに気付いてくれたと喜びました。
娘の成績が偏差値65を越えたとき、本当にすごいと思いました。この塾でなければ越えることはなかったと思います。

今回の受験に関しては親としては後悔ばっかりです。初めての受験で私が娘と塾を信用しきれていなかった事が悔やまれます。1月14日の浦和明の星にあと2点くらいと言われた時に本当に私のせいだと思いました。私の不安感が娘に動揺を与えてしまいました。
そこからの2週間、娘は本当に前向きに頑張りました。父親は落ち着いてましたが私が食べれず眠れず、親のメンタルが試されていると思い平気なフリをしていました。2月1日の吉祥女子の時の帰ってきた姿は本当に出来た様子で浦明の時とは違っていました。
ただここで私の不安感から午後に晃華学園の午後受験を入れてしまいました。意外と時間がかかってしまい塾によって帰ったら8時過ぎておりすぐ寝るように言いましたが中々眠れずに2月2日の本番の豊島岡を受験しました。
そこからは朝5時に起きて塾に行き受験し、塾に行き9時に発表を見る事を3回繰り返しました。2日目にもうこれ以上受けられない精神的にギリギリで立ち上がれない、でも豊島岡しか行きたくないという娘にどうしたらいいかわからず、落ちる度に塾に電話をして鼎の先生方が励ましてくれました。3日目はもう清々しく終えました。結果としては不合格でしたが娘はやりきったと言っていました。第一志望の豊島岡に受からなかったらどうしようと思っていました。

でも鼎進学教室で勉強できた事により娘は自立しました。
以前大手進学教室の3年4年の頃は私は付きっきりで勉強を見ており、勉強しろが口グセでした。しかし鼎に入ってからは一度も勉強しろと言ったことはありません。娘が自分で自立して勉強できるように塾がさせてくれたのです。
終わった後も学校なのに予習復習しなくちゃという娘を見て、この子はこの先大丈夫だろうと思います。中学受験するのに鼎進学教室に出会えたことが最大の幸運でした。算数の楽しさを教えてくれたり、生徒を楽しませてくれた成瀬先生、最後に国語の点を上げてくれた小町谷先生、理科の楽しさを教えてくれた岡本先生、社会の補習までしてくれた小池先生、本当に感謝しかないです。
最後に一生懸命がんばってきた娘を誇りに思います。吉祥女子でこの子は幸せになれると確信しています。豊島岡を目指したから吉祥女子に合格を頂けたのだと思います。本当にありがとうございました。

Hさんより 鷗友学園中学校進学

私の中学校受験はあまり目的のないままはじまりました。
3年生の終わりから4年生にかけてはそんな感じに勉強をなんのためにやっているのかも考えないままちゃんとした目標に向かっての勉強ができていませんでした。ですが5年で算数を成瀬先生に教わったことですべての科目の勉強に対する姿勢がかわり算数でも今まで理解したつもりで本当は理解できていなかったところを人の話をちゃんと聞く、理解することはどういうことか教えてくださったため理解したつもりの場所がほとんどなくなることができました。
そのため、2月の受験でどの学校も(1月の受験も)算数が合格へ導いてくれました。本当に成瀬先生には感謝しています。(「もちろんうまく先生の言ったことを使えないときもありましたが何度もあきらめずに復習ノートや遺言書を見てテストでそのことが使えるようにがんばりました。)

私の受験の中でとくにひどかったのは国語です。5年生から6年生前半まで私は国語の文章のとらえ方が何もかも0からまちがっていましたが、小町谷先生の国語の授業を習ったことで文章のとらえ方を理解できるようになりました。実際には1月2月の受験で国語が足をひっぱらなかったのは、小町谷先生の補習をいつも授業の最後にやってくれたからです。本当に感謝しています。
他に理科では私はみんなからすれば、えー!と思うあたりまえのところの意味を理解していないことに1月中に気づき、何度か岡本先生に聞いたりプリントをもらったりしました。そのことをしたことで1月や2月のとき(全部がうまくはいかなかったけど)応用のところはまだしも基本をきちっととることでテストでも良くはないけどあるていどの安定した点数をとることができました。岡本先生には感謝しています。
社会の小池先生は何度もいろんな分からないことをきいても答えてくださったし先生から苦手なところのプリントを遠慮なくあげるからと言ってと言ってくださり、気軽に先生に頼んで苦手をこくふくすることができました。本当に細かいところまできっちりと教えてくださったことには感謝しています。

さまざまな先生に助けてもらってのぞんだ2月1日、朝鼎に来て計算をして目を覚ましてからのぞみました。(当日までも私達を先生は助けてくださいました。)
終わったときにできなかったと思いながらも2月2日の吉祥女子にのぞみ、終わったあとに結果発表で自分の番号がありとてもとてもうれしかったです。しかも2月1日にうけた鷗友で私は友達といっしょにはいりたいと思っていて実際に私の友達2人とも受かっていてめちゃくちゃうれしかったです。
その2月2日の夜に今日受けた吉祥の結果を見たら2日もうかっていて本当にうれしすぎました。こんなに私にうれしさをあたえてくれたのは鼎の先生のおかげです。本当にありがとうございました。新しい自分の中学校にも楽しんでいきたいと思います。

Iさんより 富士見中学校進学

私は小学4年生の冬前に鼎に入塾しました。2才年上の姉が、中学受験をしているということもあり、中学受験をしました。
5年生の中頃までは同じ小学校の子が遊んでいるのを見て、うらやましくて、ついつい遊ぼうとしてしまうこともありました。けれども、5年生の冬頃になると、6年生の方々ががんばっているのを見て、「自分もあんな風になりたい!」と思い、気合いがわいてきました。
しかし、6年生の授業が始まった3月頃からコロナがはやりはじめ、授業がなかったので、なまけるようになってしまいました。
そして、とうとう8月になり、夏期講習が始まって、ようやく「このままじゃダメだ!」と思うようになりました。そのまま2ヶ月が過ぎて、10月になり、サピオープンを受けました。そしてなんと、国語の順位が最下位から2番目というとてつもない結果になり、自分がいやになることがありました。
そうして1月になり、埼玉受験が始まりました。10日、18日の栄東は、算数がうまくいかずに不合格になり、「これじゃあ第1志望の吉女も不合格になってしまう」と、不安がおしよせました。

2月になり、本番がやってきて、「国語はできたりできなかったりするからだいじょうぶかなぁ」、「社会はちゃんとできるかな?」などと不安ときん張でいっぱいになりました。
2月1日の吉女は社会でつまづいてしまい、不合格、2日目の吉女は、算数が思い通りにいかず不合格。午後の富士見で合格点をもらえたものの、第一志望の吉女に落ちたので、とても悲しくて、その日の夜は泣いていました。けれども、2日目の吉女で全力を出せたので、とてもすっきりしました。
全力を出すということの大切さを教えて下さった鼎の先生方、本当にありがとうございました。

Iさんのお母さまより

お姉ちゃんが頑張っているから、私も受験したいと、本人の意思で中学受験に挑むことを決定。
しかしなかなか踏み出せずにいた頃、2学年上の姉と一緒に鼎の遠足に参加した娘は、「○○はもう鼎の子だからねー」という、先生の何気ない一言に心決まり、4年生の12月に入塾しました。

早いうちから、「おねえと同じ吉祥女子に行きたい」と心が決まっていた娘は、2クラスへと上げていただきました。毎日の授業での先生との楽しいやりとりや、クラスメイトと過ごす時間。毎日が楽しく充実したいるようでした。しかし成績のほうは、本人の性格の雑さ、復習ノートや宿題の詰めの甘さが模試の結果にしっかりと反映されており、つまらないミスが多く、模試の後には必ず、これが取れていタラ、ここをこうしていレバと、タラレバ節が始まるのでした。

コロナ問題で先の見えない中、我が家では父親が単身赴任というさらに変化が。そんな中でも鼎ではコロナに負けず猛特訓。時間外でも自習させていただき、苦手な国語においては居残り演習もしてくださり、あっという間に受験間近となりました。
成績が合格圏に届いていない第一志望を受けるにあたって、大事になったのは第二志望選びでした。本人の希望は女子校。たくさんの学校の中から、校風も好きで、以前に文化祭に参加した時に在校生や先生と直接お話しし、とても好印象だったことから富士見に決めました。第一志望と同じくらい素晴らしい学校が控えているという安心感もあり、第一志望に思い切り挑戦させることになりました。

緊張の中に迎えた2日。試験を終え会場から出てきた娘は、やり切ったのでしょう、すがすがしい表情をしていました。しかし塾での自己採点がおわり、迎えに行くと、車に入るなり、「つまらないミスをしてしまった」と泣き崩れたのです。とれる問題を4問以上も落としてしまう痛恨のミス。もう合格は絶望的でした。娘も理解していたのでしょう。ただただ泣きじゃくる娘に、どう声をかけていいかわからず、「くやしいね」と一緒に涙し、寄り添うことしかできませんでした。

家族が同じ思いを胸に恵方巻を食べた後の合格発表。午後から受けた第二志望校算数1教科は合格。そして、第一志望校はやはり不合格でした。第一志望の合格は難しい。それは本人が一番よくわかっていた。それでもいろんな不安の中で、自分を信じて、第一志望校だけをめざして、2年間頑張ってきた。おねえと同じ学校へ行き、いつかおねえを抜かしてやりたいとも思っていた。
ただ悲しくて悔しくて、声にならない声で泣きました。涙の中にも、娘は両親に「二年間支えてくれてありがとう」と言ってきました。娘の精一杯の強がりと、心からの重いに、この二年間でずいぶんと成長していたことを知りました。
こうして娘の中学受験は幕を閉じました。 しばらくはふと見せる悲しげな表情に心が痛みましたが、徐々に「富士見でがんばるよ。セーラー服を着るのが楽しみ」と明るい笑顔を見せるようになった娘に、さらに大きな成長を感じます。

娘へ。人生は思い通りにならないことがたくさんあるけれど、先を明るくすすむ前には思い描いた未来がちゃんと拡がっているよ。大切なのはこれから。どこへ行くかではなくて、どうがんばるか。富士見での6年間、素敵な出会いを大切にして充実した学校生活を送ってね。

Lさんより 富士見中学校進学

私は3年生の冬に鼎に入りました。
3年生の時の私は、ただ授業がおもしろく、友達といることが楽しい!!という気持ちでやっていました。
でも4年生になると、少し授業が本格的になり、5、6年生では3年生の時とは比べ物にならないくらい真面目な授業になりました。しかも4年生から6年生にかけて、得意教科が、理社から社会だけになり、理科が大の苦手教科に変わったり、少しは国語ができるようになっても文章によって点数の高低差が激しくなってしまい、合格の希望があまり見えず全然やる気も出ませんでした。
6年生の11月、12月では過去問をやってちょっと復習したらいいや!!と思うようになり、成績の向上はありませんでした。
そしてそのままの生活を送っていたらあっという間に1月10日の西武文理まできていました。幸いその日は算数が100点で、いつもより得意の社会がこけてしまってもサポートしてくれたため、特待で合格することができました。11・12日は13日に受ける淑徳与野の前日講座のような物があったのですが、見事に相性が悪く、13日も過去問の時よりも理科以外は自信があっても結果は×でした。

そして、1月31日の壮行会では先輩達の話を聞き少しは自信がつきました
そして2月1日の当日、緊張してヤバそうという想像とは違い、いつも通りのグダグダさであり逆にビックリしました。
鼎に来て1時間程算数をやって手を動かし、渡邉先生に試験会場に行く前に鼎の階段で声をかけてもらい、コロナで先生達が会場に来れなくても安心して試験会場へ向かうこができました。富士見に受けに行ったのですが過去問では合格点にいったためゆとりをもっていたら、算数と理科がすごく難しくなっていて自信が消失し、休憩中にトイレで泣きそうになってしまいました。

でも見事合格することができ、今までよりも嬉しく、1人でずっと喜んでいました。
3日はチャレンジで鷗友を受けた所、大体理科でやられて結果は×4日も淑徳与野にチャレンジしてもまたダメでした。
でも最終的に一番行きたかった富士見に行けて良かったです。

今まで約3年間ありがとうございました。
中学に行ってもがんばります!!

Lさんのお母さまより

「私、この学校に行きたい!」
当時Z会を受講していた娘は、小学3年から「中学受験コース」が開講される為、中学校のHPを見せながら受験をしたいかを聞いていた所、吉祥女子に一目惚れ。ここから娘の中学入試に向けての生活が始まりました。
(その後、私は吉祥女子の偏差値を知り、「こんなに偏差値が高いとは、何という学校を見せてしまったのだろう」と後悔の念に駆られました…。)

3年生の内は、色々な学校のイベントに連れて行き、本当に受験したいのかを再確認。意思が変わらないようなので、4年から入る塾を探していた所、近所の方が鼎の評判を教えてくださり、お世話になることとなりました。
鼎に入り、4年は1組からスタートしたものの「雑」「とりかかりが遅い」「国語はマーカーでぬり絵」「へりくつが多い」「難しい問題から逃げる」「問題読まない」と学びに行っているとは思えない行動の数々。その上、話は聞かない、プライドは高いので、当然ながら成績は低飛行&クラスダウン。学年が上がって改善されてきた所もありますが、最後まで改善できずに入試を迎えた点もあり、厳しい結果に繋がったと感じております。

志望校の方は、色々な学校を見学したおかげか、学年があがるうちに吉祥女子の他に少しずつ興味がある学校が増えてきました。6年に人り、あれほど熱望していた吉祥女子より鷗友を第1志望にしたいと言った時にはびっくりしましたが、最終的には『鷗友・淑徳与野・富士見、どの学校にも進学したい!』と偏差値帯の異なる3校を気に入ってくれた事は、本当に良かったです。

結果として合格したのは富士見のみでしたが、心から行きたいと思っていた1校ですので、4月からの生活がとても楽しみなようです。これから新しい地での学びでは、苦手な事からも逃げずに頑張っていってほしいものです。
こんな手のかかる娘を最後まで見捨てずご指導いただいた先生方には本当に感謝しております。今まで本当にありがとうございました。

Nさんより 頴明館中学校進学

私は母の知人の勧めで5年生の冬期講習から鼎進学教室に入塾しました。
初めは他の人達は3・4年生から塾に行っているので、この時期からはじめた私はそんな人達に追いつける訳がないとあきらめていました。
しかし岡本先生が「成績は9月頃から一気に上がる」とおっしゃってくれたので、それから特に算数に力を入れて勉強しました。
しかし、勉強をしているときにこれまでのサボっていた自分がジャマをして、友達と話してしまうこともありました。このままではいけないと思い、自分が集中することができる場所を見つけるなどの工夫をして勉強しました。そしたら入塾当初の組分けテストで偏差値31だった私が9月の合不合テストで偏差値47まで上がりました。そこで、努力したことは結果に結びつくんだなと思いました。また、このままいけば合格できるんじゃないかという自信にもなりました。

その後1回だけ成績が落ちましたが、9月の合不合テストで感じた努力の大切さを思い出して勉強しました。そして、第2志望の頴明館中学校・明治大学附属中野八王子中学校、明治学院中学校・大宮開成中学校から合格をもらうことができました。
ここまで支えてくれた先生方や家族にはもう、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。

Pさんより 女子美術大学付属中学校進学

私は、いろいろな塾に体験したりして小4の夏頃に鼎に来ました。
入塾理由はただ小3の時の体験の中に幼稚園の友だちがいたことがきっかけでした。
鼎に来た頃の私は、宿題を3割弱しかやっていなくて今思えば、そんな自分にとてもびっくりしています。6年生になるぐらいまではだらだらと過ごしていて、何度も怒られまくっていました。
私はもともと美術系が好きだったこともあり、10月ごろ親からこの学校を教えてもらいました。それまで希望していた学校よりこの学校に行きたくなり、その時からがんばり始めました。
そして、気がつけばもう1月。最初の入試日。外に出たとたん急にお腹が痛くなってきました。受験校では、とても寒くて足の先っぽにカイロをはって試験を受けました。

ついに本命の2月1日。早朝から塾でウォーミングアップをして入試へ向かいました。
結果は補欠。この学校は辞退者が少ないと聞いていたのでもう無理なんだと心の中で思っていました。おさえの学校へ入学しようとしていた2月10日、電話が来て第一志望のこの学校に合格したと聞きました。びっくりしたし、とってもうれしかったです。

こんな形で合格になったけど、補欠になった悔しさを活かし、これからも前に進みたいです。
先生方、今まで本当にありがとうございました。中学では、勉強と部活をがんばりたいです。

Qさんより 洗足学園中学校進学

私が鼎に入ったのは、小三の時だったと思います。お姉ちゃんが入っているという友達に誘われたのがきっかけです。
クラス分けが始まってからずっと一組(一番上のクラス)で、社会以外全然ダメだった私が二組(上から二番目のクラス)に落とされたのは、五年生の冬でした。その時はショックでしたが、今思えば良かったです。二組の方が私のレベルに合っていたみたいで、そこから“自分的には”上がったと思います。二組に行ってから少し経てばクラスにもなじめ、先生達も面白いので、人間関係を心配する事なく楽しく授業を受けられました。
六年の夏に、一番苦手な算数の復習ノートをサボっていた時期がありました。それが原因で算数が全く解けなくなってしまい、みんなに差をつけられてしまうと焦ったので、これを読んでいる皆さんは出来るだけ先生の言う通りにした方がいいと思います。(冗談も言うので注意)大体当たります。
などと鼎で時間を過ごしているうちに、一月受験の日がやって来ました。私は栄東や西部文理を受けない代わりに淑徳与野を受けました。最後の合不合で80%の合格率をもらっていたので受かると思っていました。結果を知らないまま次の日の浦明けを受けましたが、どちらも不合格。浦明けは鼎での採点で不合格と分かっていたのでそこまでのショックを受けず、すぐに二月絶対受かってやると思えましたが、与野は凄いショックを受けて立ち直るのには、時間がかかりました。
それから二月受験まで、あっという間でした。この期間が一番真剣に勉強したと思います。朝から晩までずっと勉強していたので夜は早く寝るようにして、疲れがとれるようにいっぱい寝ました。

そして迎えた二月一日。私は緊張しすぎたみたいで、朝の三時半に起きてしまいました。その日は全然ダメで午前の洗足はもちろん午後の久我山STも落ちました。STも淑徳与野同様80%の合格率だったのですが多分、洗足の手応えから落ちたとしか思えなくてパニック状態になったんだとおもいます。
二月二日は、もう昨日のことは無かった事にしました。そして、一日に受かった同じクラスだった人みたいに、成瀬先生になったつもりで算数をときました。とにかく手を動かし続けないと、そこで終了だ!と思って頭の中は冷静のまま手はずっと動かしました。
算数も昨日よりはちょっと手応えありだったので、すこ〜〜しだけ安心して鼎に帰りました。
家に帰ってからも凄い心配でソワソワしていると、七時ごろに鼎から電話がかかってきました。父が電話に出て少し経ったら私に電話が回って来たので、「もしもし」って言うと、成瀬先生から「洗足合格」って言われたので、すっごい嬉しかったです!

レベルがあがってしまった洗足に行けるようにしてくれた先生達、ありがとうございました。
受験生へのアドバイスは、なんでも諦めないでやるってことです。どこかに落ちても可能性があるなら立ち直った方が得だとおもいます。

Qさんのお父さまより

娘はもともと競争心を表に出さず・どちらかというと引っ込み思案で、自分が出来ない事や苦手な事は直視しない傾向にありました。
小4の時には「私はなるべく目立たずに生きていきたいんだよ」と衝撃のカミングアウトをしてくる割に、『いや、そんなアホな点数取ってたら逆に目立つだろうよ』という位にテストの点数が悪くてもその場では落ち込んで、まさに喉元過ぎれば熱さを忘れるを地で行っており、正直この子の受験には不安しかありませんでした。

その一方で私が決めていたのは、2つ。
1つ目は鼎進学教室の講師の先生方を信じようと言う事でした。 もちろん入塾させた最初の頃は、決してそのような心持ちではありませんでした。 しかし家で娘と話していると「それ、同じこと成瀬先生にも言われた」というような事が多く徐々に信じてみようと思えるようになった。というのが偽らざる本音です。 手前味噌にはなりますが、私自身人並みには娘達に興味を持ち、観察し、どこをどう改善すればよのか悩みながら子育てを考えてきたつもりでしたが 入塾から2年間付き合っただけで、下手したら父である私よりも子供のことを理解し、心を掴み、尊敬を得て、率直に意見を述べてくれる人であれば、これは信頼できると思ったからです。というと褒めすぎでしょうか。ですが、私はそう思えたのです。

2つ目は受験当日の本番で点数が取れれば良いだけですから、途中の模試でどれだけ悪い点数を取っても怒らず、ただし復習だけはさせて二度と同じ間違いは犯さないように気をつけさせる。ということでした。これは鼎の復習ノートなどでも癖づけてくれるので非常に良かったと感じています。
ただ、途中この復習ノートをサボっていた時期があったのですが、そうなると更に出来ない・分からない事が増え、自信を失い、苦手意識が増幅してもう手遅れではないかと悲嘆に暮れるほどにまでなっていた時は激怒しましたが。

それでも毎日、講義の後に居残りさせてもらい少しづつでも取り返させていただいたのはありがたかったです。

鼎の良さの一つはこの、一人一人としっかり向き合ってくれること。その子のレベルと性格をしっかり把握して育ててくれること。目先の成長ではなく最後に受験という戦いに勝った上で、その先の人生においても自らの頭で考え行動することの重要性を解らせてくれることではないかと思います。
娘に「鼎の良さって端的に何?」と聞くと 即出てきた答えは「ちゃんと自分を見てくれてる」「多分先生からしたら言いにくいこともストレートに言ってくれるから分かりやすい」でした。
この子には、鼎進学教室が合っていたのだと思います。

受験そのものについては1月の受験から4校連続で不合格。お話にならないようなミスもしておりましたし、同級生が次々と合格を勝ち取っていく中で自分だけが合格校が無い状態の娘の心の内を慮ると、本当に辛かったと思います。泣いている娘と妻に、自分も泣きそうになりながら「ここで泣いて落ち込んでモチベーションを下げたらもうそれは負けだから、今日だけ泣いて明日から切り替えて最後まで戦え!」と言ったものの私も胸が捩れて千切れるほどで仕事は手につきませんでした。
しかしそんな中でも気丈に毎日鼎に通い続けた娘も、毎日懸命に送り迎え・お弁当の準備を甲斐甲斐しくしていた妻も、本当によく耐え頑張り続けたと思います。 もちろん受験本番の期間だけでなく3年もの長きに渡り頑張ってきたからこそ、の今だと思います。

この経験が娘の人生に良い風をもたらしてくれる事を願っていますし、その人生の大きな岐路として第一志望に受かる力をつけてくださった講師の先生方に心より感謝申し上げます。娘はこの中学受験の経験から、何より苦難に立ち向かう事の重要性とその方法を学んでくれたと思います。ありがとうございました。

Rさんより 鷗友学園女子中学校進学

私は5年生の4月から鼎に入塾しました。
今まで長時間勉強をし続けたり、塾へ行ったことがなかったため、初めは授業について行くのがとても大変でした。算数が特にチンプンカンプンで、宿題をこなすことで精一杯でした。
だんだん授業についていけるようになりました。分からなかった算数も少しずつできるようになり、算数が好きで一番得意になりました。ですが、塾に行くのがつらくなってしまい、ときどき塾へ行きたくないとわがままを言い、休んでしまうことがありました。その時はまだ、受験の大変さからただ逃げたい気持ちで一杯でした。
そして、6年生へと進級しました。61になれたことは嬉しかったものの、授業のスピードについていくこともできず、周りがついていけるのをうらやましく思いました。しかし、1、2ヶ月経つと授業についていくこともできるようになり、前よりは勉強することに対する苦しい気持ちが減っていきました。それでも、5年生の時のように、塾へ行きたくないとぐずることもありました。

そんな中、過去問が始まりました。点数はクラスで毎回ビリ。言うのがとても恥ずかしかったです。合不合でも練習では100点を越えるのに、本番では90点から96点で悲しくなりました。ですが、最後の合不合では、書いた答えが全て合っていて108点を取ることができ、今までで総合偏差値が一番高く、幸せな気持ちでいっぱいでした。この合不合のあたりで第一志望が鷗友学園に決まりました。成瀬先生に鷗友が合っているとも言われ、鷗友を目指しました。
初め、鷗友の算数は平均点そこそこか以下しか取れず、今年は平均点も倍率も上がってしまうのにと、とても焦りました。国語と理科も平均点に全く届かず、受かる可能性なんてゼロだと思っていました。 そして本番、塾で自信を持って解けと言われ、冷静に解いていきました。感覚通り算数はいつも以上に取ることができ、今まで全く出来なかった理科も高い点数を取ることができました。私は嬉しくて、家族と家で飛び上がりました。
そして次の日のおさえ、帝京大学中学校の試験終了後、鷗友学園合格が確認できて嬉しかったです。合格できたことは嬉しかったですが、今まで努力してきた事を全て出し切ることができて良かったです。2年間、一生懸命教えてくれてありがとうございました。

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